ブログを書こう書こうと思いつつその気になれず灰色の毎日をただひいひい生き延びていましたが、ようやく映画プロジェクト・ヘイル・メアリー(字幕・ドルビーアトモス)を観に行くことができて、「今感じたことを一刻も早く書き留めたい!!!」という気持ちになれたので、書きます!!!!!!!!!!!
というわけで本ページは映画プロジェクト・ヘイル・メアリー日本語字幕版および同原作日本語版のネタバレを遠慮なしで含みます。ここは私のブログだから好きにやらしてもらうぜ。
ストーリー順に細かく書くとかいう器用なことはできない(それをやると映画の十倍くらい時間がかかる)ので、思いついた順に書きたいことだけを書いています。記憶違い、解釈の誤り等あるかもしれませんが、いまここの私に残っている「感想」を書くものとしてご了承ください。読んでくれる人いんのかな。いたらいいな。
……じゃあ書きます!
・冒頭のシーン
ここで、「なるほど、映画の見せ方はこうなのね」と思った。日本の原作既読勢がとにかく映画より先に原作を…!と口うるさいほど言ってきた(私も言いました)ポイントのうちのひとつである。で、正直ここは、「映画の見せ方ならこのスピード感と描き方で合ってるな」と思った。でも、小説の初読時のあの、グレースの一人称時点でこちらも何もかもわからないまま、ここがどこで自分が誰なのかさえわからないまま、グレースの知恵と機転とユーモアによって物語に引き込まれていく感覚がたまらなく好きだったので、原作のあれが好きだったよ…!という気持ちもある。原作の話になってしまった。映画に話を戻すと、グレースのビジュアル(長期間のコールドスリープ明け)は、いわゆるイエス・キリストを意識しているかな?と思った。設定上そりゃ体毛は伸び切ってああなるだろというのはもちろんなのだが、"死から復活せし、我々を救いし者"としてのイメージを重ねられているように思った。そもそも「ヘイル・メアリー」だし、「グレース」なので、キリスト教的世界観を印象付ける意図はあっておかしくないと思う。
・話の方向が近づいたので、場面がめちゃくちゃ飛ぶが、
グレース「計画は成功すると思う?」
ストラット「神のみぞ知るわ(※これは私の意訳です)」
グレース「あなたは神を信じているの?」
ストラット「他よりマシ」
…このシーンにもつながると思う。グレースも、彼女にとって最終的に「他よりマシ」で、「信じるしかない」存在だった。ていうかストラットの名前もエヴァ・ストラットだ。知恵の実を食べて楽園を追放された女。そしてファミリーネームはおそらくだがストラトスフィア(「成層圏」転じて「最高位」の意味を持つ)からではないか?彼女の名前は、彼女がどこまでも人間=神に至らないものであり、地球を覆う層までしか至らないものであることを示唆している……?ぜんぜん違ったらすいません。でも、だからこそ「グレース(神の恩寵)」に託して「ヘイル・メアリー(アヴェマリア=おお神よ、とか、日本だったら『神様仏様…』みたいな感じだと思う)・パス」に賭けるこの物語のキーパーソンとなる。神に祈りを捧げるのは人間だから。人間を救うのは、人間ではない。(彼女たちの信じる神がイエス・キリストである場合の)地球では。だから彼女はグレースを最終的に『人間扱い』しなかった。
・ストラットのこと
小説のときも好きだったけど、ザンドラ・ヒュラーの演技が凄くてめちゃくちゃ好きになってしまった。グレースとロッキーのファーストコンタクトと同じように、彼女もグレースの表情をおうむ返しして「コミュニケーション」を取ろうとする描写があるが、彼女のそれはどうしても「操作するため」になってしまう…………。原作を読めば彼女なりの覚悟の深さ、背負っている業にどれだけ自覚的かはもっと描かれているのだが、その描写をまさかカラオケで歌と歌詞にのせて補うとは、映画ってすげえや…と思った。小説で音楽は聴けない。音楽には感情が載せられる。歌う彼女をまっすぐ見つめていたグレースに、彼女個人の抱える葛藤や願い、信念が届いた、という重要なシーンだったと思う。オリジナルシーンかつやや唐突なので賛否が分かれているのは仕方ないが。あんなんもうマクロスじゃん、と私は思いました。
・カール
彼関連も映画で急に生えてきたのでビビったが、序盤をテンポよく心地よく魅せるために必要なアレンジだったのだと思う。彼と仲良くやってるシーンは普通によかった。ストラットがああいう女性で、かつ描写を映画サイズに削らねばならない以上、グレースの「未練になりうる友情、人間関係」として彼の役は必要だった。子どもたちへの思いや、プロジェクトメンバーたちとの描写が限界まで削られた結果、シーンに組み込みやすい人物として生み出されたキャラクターだと思う。そして彼はロッキーとの対比でもある。彼はグレースを『裏切る』。彼はグレースを『薬で昏倒させ、眠るところを見守らない』。
・爆発カップル
なんかこう………うまいこと省略したな!!?映画の尺ではヘイト管理が難しいし、いたしかたなし。
・うまいこと省略された爆発の原因はさておき、爆発の直後グレースよりも先に立ち上がりフェンスに駆け寄りすぐさま電話をかけるストラット、この描写だけで『本気』がわかる。もはや保身や安全ではない。計画の成功によって地球を救う、最大多数の最大幸福を目標とする女。自分の力では救えないなら、どんなことでもすると決めた女。
地球の話ばかりしてすみません。
・二人の乗員との別れ
自分でもびっくりしたんですが、私はここで泣きました。ここで泣いた上、いちばん泣いたのがここでした。早すぎるし意外すぎる。
なんでかな〜といま振り返っているのですが、もちろん展開は知っていたのだけど、あそこまでの描写の中でずっととにかく流されて戸惑ってまた流されて…という状態だったグレースが、彼らのことをまだ思い出せてもいないのに、遺品やそれまでわかった状況から彼らの勇気に心からの敬意を払ったシーン、ひいては、グレースの中に勇気が植え付けられたシーンだったからかな……と思います。原作では二人の死について「悲しいな」とか、彼らを思うグレースを「優しいな」とざっくり思うだけで通り過ぎてしまったけど、映像になることによってびっくりするほど刺さってしまった。グレースは子どもたちをこうして「卒業」させたこともあるのかもしれない。それは未来に向かう明るい訣別だったろうけど、これはそうじゃない。亡くなった二人の勇気を、無念を、グレースは受け取ってしまった。この作品にはいくつものヘイルメアリーパスがある。
・ロッキー
書きたいこと多すぎるんですけど!!!!!多すぎるからかいつまみますが、まず、ちょっと惜しい〜!!と思ったところから:①言語コーパスつくるところもっと見せてよ!!(完全に個人的な趣味だが原作で一二を争うお気に入りシーンだったので寂しい。絵面が地味すぎるので削られる意味はわかる。でも出汁のないお味噌汁飲んでる気持ちになった…原作を読もう!) ②食事シーン、「文化、美醜の感覚の違い」程度の意味づけになってしまったがあれは『恥』の概念の違いを示す→『信仰する規範(≒神)』の違いを示す象徴的なシーンだったと思うので残念 でも絵面もメタファーもセンシティブすぎるか…と思うので、これも映画の限られた尺で削られる意味はわかる。 惜しいなと思ったのはこんなところ。
特筆したいのは、グレースが気絶したときに何度も何度もロッキーが彼の名前を呼ぶところ。あそこは字幕も何もない(他のエリド語は字幕がある)が、観客である私たちにはロッキーがグレースを呼ぶのが「聞こえる」。ものすごい描写だと思った。映画って、演技って、演出って、すっっご。ここは泣く。その描写に泣いた。
あとはも〜〜とにかく動きがいい、音(声)の表現がいい、読み上げソフトの抑揚がいい……。キャラクターとして最高なのは原作からわかっているのでさすがに割愛するが、映像になったことによってより厚みが増したというか、「マスコット」ではなく「友達」「相棒」なのだとしっかり描かれていてよかった。多くの方が書いているが、「3時間だけ待つ」と言って結局グレースの意思を受け入れなかったストラットと、「いくらでも考えていい」と言えるロッキーの対比は、状況や寿命による時間感覚がそもそもぜんぜん違うということはおいても、はっきりしている。グレースが命を賭けるのは彼をエリドに帰すため。思い出した記憶の中で自分を「裏切った」ストラットとカールが守れと頼む地球に戻るより、自分を「勇気がある」と言ってくれた、エイドリアンと過ごす時間を「まだ足りない」と言った彼を助けるために、最大の勇気を出した。タイトルロゴのΔマーク(日本語のカタカナでは「へ」の部分)、なんだ?と思っていましたが、「あの図」か……!と思いました。ほんと一瞬だったけど。ヤオとの回想シーンで彼が言っていたことと同じことなんだけど、誰かのためだから出せる勇気というものは存在する。
好きポイント無限に出てくる。プロジェクトヘイルメアリー・ロッキー視点のスピンオフください。
・グレース
いい奴〜!!!!!!原作の怒涛のモノローグがなくなって無口(?)になったぶんBGMが感情豊かになってたのおもろかったです。で、怒涛のモノローグの怒涛のユーモアと知性のフィルターを外してみる彼は、なんて弱々しく、可哀想で、勇敢で、心優しいんだ………と思いました。なんかもっとウキウキしたり、プンスカしたり、そういう印象があったのだけど、映画の彼は少し違った。
ミステリアスになりたかったと言う彼が好きな天候が「霧」なのは、世界の不思議そのものを愛しているからなのだろうか。霧が晴れなくてもよいと思っている、そういう人がいてもいいんだよね、と思った。でも地球では濃霧を「いい天気」とは呼ばないんだ。エリドでは、どうだろう。
・地球にビデオが届いて老いたストラットがそれを見て指揮を取るシーン。ありがとう………。ロッキーがくれたグレース人形も同封したんだ、というところで、グレースが彼女(たち)を、部分的にも許していると、私は受け取りました。私だったら人にあげたくないし最後まで持っておきたいけど、もう地球には戻らないと決めて地球へ送るものを決めているときに、それを入れたのは、やっぱり「やってやったぞお望み通りに!」という、皮肉混じりの、親しみを込めたメッセージだったのではないかな、そうだったらいいな、と思います。
・クライマックス〜ラストシーン、意外にも泣かず。これも感激屋の私にしては珍しいのでどうしてかなと考えましたが(もちろん展開知ってるのも大きいけど)、「安心」が大きかったからかな〜と思います。もう大丈夫、おうちに帰ろう。で、おうちに帰って、また日々が続いて、空は晴れずに霧がかかっていて、…グレースがこのあと「地球に帰りたい」と思うかどうかはわからない(帰れたとして、彼の接した人たちはもうこの世にいない可能性が高い)けど、今はエリドに彼自身を「スペアの中の一番上」ではなく、「専門家」でもなく、友人として尊重してくれる相手がいる。ならここがグレースのホームなんだろうと思う。
正直、アメリカンな価値観でのSFの王道って、ファミリー最高!マイホーム最高!の、「もといた場所に帰ってくる」物語だと思っていたのですが、行った先をホームにしたっていいんだよ、という物語であったことに、原作時点からめちゃくちゃ救われていたので、ひとまずこの映画まででは、そこを覆すような展開が付け加えられることがなくて、個人的にはすごくよかったと思います。
以上!すんごくいい映画だった〜!!2時間半でこんなに楽しめるなんて……。指定難病のそこそこの重さなのでアレをコレしてお安く見れたが、観たい映画を観れる体調でいたいものだぜ……。と思います。公開当初から今日まで観れなかったのは8割体調のせいなので……間に合ってよかった。IMAXは見れる日がなかったけどせめてドルビーアトモスで見れてよかった。
エンドロールの写真はマジの宇宙の写真らしいので、観に行く方はエンドロールもガン見しましょう。
そして願わくば、原作小説も……読むかオーディブルで聴くかして……!こんなに旨いとこ残してあるのォ!?と驚愕してください。私も読み返します。