いもいもなにいも

おいものなんでもない日

幕間

決していい一年とは言えなかった。ろくでもない一日の繰り返しで、定められたとおりに今年も終わる。終わってくれる。ひとまとめに、過去のフォルダにぶちこめる。

 

・見るたびに雨が降っている庭があれば、鬱陶しいからさっさと屋根つけろよと思うかもしれない。じゃあなんで屋根がずっとつかないんだと思う?主にその発想がないから?それでいいのかわからないから?その庭の主は、本当にそんな理由で、雨を降らせるままにしていると思う?そうだとして、それをわがままだと思う?わがままを放置してはおけないか?庭の主はあなたではないのに?あなたの庭は晴れていて、あなたは通りがかっただけなのに?

あるいは、あなたもかつて雨の降りしきる庭の主だったのかもしれない。だから、手っ取り早い解決策を提示してやることがなによりもの優しさだと思っているかもしれない。確かにそれは優しさだろう。ただ、それを受け取るかどうか決めるのはあなたではない。

私に限っては、庭を整えてやろうと懸命に説得にこられるよりは、雨音を聴きながら一緒にお茶しようとしてくれるほうが、よほどいい。見ていられないというのなら、止むまではさようなら。

ここは私の庭だ。

 

・いい一年ではなかったが、何もかも失ったりはしていない。ただ一緒にいてくれた友人たちや、いきなり降ってきた昇格試験、10年前では考えられなかった家族旅行。今年を丸ごとなしにしていいとは、思わない。ここまで丁寧にすり潰してくれなくてもよかっただろと恨み言は言いたくなるが、私はここにいる。負けず嫌いで本当に良かった。好きなものがたくさんあってよかった。頽れた姿を絶対に見せたくない人がいて、よかった。

 

・(没交渉の年を除いて)毎年実家の年越しそばの写真を送ってくる人がいたなあと大晦日は思い出す。結局何枚になるんだろう、ガラケー時代とかからだしな。いちいち残してるわけでもないし(ひとんちの食事の写真だし)。

私にとって「実家の年越しそば」はただ好ましいと愛おしむものではなかったが、その写真を送ってくれる人の家庭は、毎年きっと私には想像もつかないほど穏やかに年が暮れるんだろうなと思ったし、それをただ送ってくるその行為が、ちょっとお供えみたいで面白かった。そんなつもりはなくっても、お裾分けのようで嬉しかった。見せてくれてありがとうね、あなたが温かい場所にいることは、私にとっても幸せだったんだよ。

 

・本年も大変お世話になりました。良いお年をお迎えください。きっとだよ。