いもいもなにいも

おいものなんでもない日

オアシスの化石

 

行きたかったお店のちいさな展覧会があり、1人誘ってみたのだが予定があるということで、なら今回は諦めようかな…と思っていた。1時間はかかる場所だし、予報は大雨になっていた。ひとりで行くには億劫だ。とくに、最近の体調では。

毎年毎年懲りずに誕生日直前は具合が悪い。梅雨ど真ん中だし、気圧も湿度も温度もガタガタだからだと思う。夏生まれと自称するには、あまりにも鬱陶しい雨の気配が強い。

いつもならそれで終わるのに、なんの気まぐれか母親に声をかけていた。

 

退屈していたらしいその人は、ニッチな誘いにも二つ返事であらわれた。持病の進行で杖が必要になっていたはずが、手ぶらで立つわ階段は登るわ、私よりも散歩に意欲的だわ、およそ15年ほど見覚えのない快活さだった。外に出られない間、できる範囲でヨガに凝ってみたらしい。せっかくだからあそこを回って歩こうかと、誘われたのなんて初めてかもしれない。

この人は、私の母親は、こんなふうに笑うのか。

いつも眉をひそめて、明るく振る舞っては鋭いため息をつく、ひどいノイズに囲まれた人だと思っていた。そうして、なんだかんだ4ヶ月ぶりに会った母親を、幼少期以来に愛すべき自分の母親として認識した気がする。

多少はいつもの灰汁が出てウッとなりはしたものの、そこまで消え去っていたらかえって別人ではないかとおそろしくなるので仕方ない。毎回どこかで「まあまあ一度深呼吸をしてください」と背中をわざとらしく撫でるような道化しぐさが必要な情緒の持ち主(タイミングが遅いとその手すら振り払われる)だったはずが、それがなかった。

これがずっと続くなんて思ってはいないし、続いたとして絶対に許せない思い出もあるが、「距離を取ればうまくいく」の距離を、もしかすると、ひとまず母については、もう少し(読んでくれているあなたのお考えよりも少しだろうが)近付けることもできるのかもしれないと思えた。

 

これ以上のくわしい感情は自分でもうまく編み上げられてはいないので、夜店ですくった金魚よろしく心の中に泳がせておこうと思う。幾晩かであっけなく白い腹を浮かせてしまうかもしれないが、わずかな慰めには、なってくれるだろう。

 

道中いろいろと謎の縁起良しイベントが起こったりもして、白昼夢じみた休日だった。自分用のフライング誕プレとして買ったデザートローズと、帰り道の道端で売っていたピンクの薔薇の花束が玄関で静かに咲いているので、現実だったことがわかる。

屈託なくピンクの薔薇を選ぶ自分にも驚いた。