いもいもなにいも

おいものなんでもない日

さらばクドリャフカ

 

いつかいつかいつか。いつか報われてやる。いつか見返してやる。だから今は笑って我慢だ。ーー自分のよくないところだと自覚しているが、昔からこういうストレスの押し込め方をする。今までどうにかなっていたのはそれが"学校"というだいたい決まった年数やタイミングでリリースされるとわかっている環境だからだ。どうにかならなかったのは家族との関係で、こうやって耐え続けてぶっ倒れてブチギレて家を飛び出した。考えなしの家出というにはあまりにも計画的(祖父母と主治医を味方につけて両親を黙らせた)で、冷静な判断だったかと言われるとかなりの博打だった。

でもその博打で死なない自信はあった。「今よりはマシ、たとえ失敗したとしても何もしないでこのまま耐えるよりはマシ、このまま耐えても変わる見込みは無いのだから」というモードになったら止まらない。私にはそういうところがある。

 

もう館のトップまで話が行ったのではっきり書けるんですけど、転職活動をしている。(退職時期は交渉中、最長2月いっぱい)

就活よりちゃんと就活してるかもしれない。あの頃はとにかく焦っていた。なるべく、何もかもが、スムーズでいなければならないと思っていた。心身の大恐慌で大学2年次をほぼ棒に振ったうえ、倒れる前より明らかに脳にモヤがかかっている(これは今もそうだし、たぶん治らない)。とにかく早く進路を決めて、「正解」だと周りに思わせなければならない。ドロップアウトしたと思われてはならない。気付かせてはならない。

そう思っていた。し、実際イヤイヤ入社したわけではない。納得はしていた。

けどまあ働いてみないとわからないことってたくさんあるし、自分だけでなく周りの環境とかでも生活のリズムに影響してうまく回らないこともあるし、たぶん今乗り越えたらまた何年か我慢できてしまうんだろうなと思う。また、「いつか」とぼんやりした未来を睨みながら。

 

それで死んでちゃ世話なくね?と起き抜けにふと思った。駅でまともに歩けなくなった2日後のことだった。いつかっていつだ。そのいつかが本当に来るのか。ていうか、そのいつかって、この道の先にあるのか?

 

他の人がどう思っていたかはともかく、当初からずっと「(現職に就くということは)英語に関わるという夢を諦めるのか」と問いかけてきたのはエリートだ。私はそれを煙たげにあしらった。まともに受け止めたら悔しくて泣きそうだったからだ。限界を超えていちど壊したせいで、この頭の中のモヤはもう晴れない。そしてそのモヤがあっては、夢を叶えられない。自分の能力がかなり下がっているのもわかっていた。前と同じ速度で英文が理解できない。口から言葉が出てこない。夢を追うならそれに向き合わなきゃいけないし、そうしたら今の自分では進路がいつまでも決まらないかもしれない。

置いて行かれたくなかった。

それは言えず、代わりにもっともらしいことを言ったがエリートはたぶん全く納得していなかった。この人は頭がいいし私のことをよく見ている。しかも、しのごのいわずきちんと必要な努力をして夢を叶える人間だ。無謀なことはしない。できるかもしれないのになぜ諦めるのか、と思ってくれていたんだと思う。知らないけど。でも当時の私にはそれが眩しすぎてしんどかった。後ろめたかったのだ。

その日のことがずっと心にひっかかっていたし、何なら折に触れてちょこちょこ同じような話題になった。いつも逃げた。プライドだけが高いのだ。

 

でも二年半以上経ってようやく、自分のやりたいことをやりたいようにやる、そのための責任をとる覚悟ができた。このまま死んだり、使う予定はないけどせっかくある生殖機能をストレス原因でいたずらに殺されるよりはずっといいと思えた。

私よりずっと長くどん底にいて、私の歳の頃にはまだ手首切ったり飛び降りようとしたり首吊ったりオーバードーズしたり、自殺未遂の常習犯だった姉が2歳の姪っ子相手にちゃんと母親をやれている姿を見て、「なんだ」と思ったのだ。「なんだ、どうとでもなるじゃん」と。

もちろん運や努力はある。でも、どうとでもなる。生きてれば。かつての想定よりも劣っていたとしても、最初から自分で決めつけて腐ってるよりいい。

 

具体的に次が決まっているわけでもないのに偉そうなこと書いちゃって恥ずかしいけど、もしも同じように劣等感とか自己評価の低さとかで今ある場所に"甘んじている"みたいな意識で苦しんでる人がいたらこれ読んでなんか息つけたらいいなと思います。

書いたのはねー、今ならかっこわるいこと書けると思ったからです。次のとこ行ってからだとまたかっこつけちゃいそうだから今のうち。

 

とはいえしばらく現職と求職のダブル生活で息継ぎ大変そうだから気をつけます。

今日も半日寝てしまった。気持ちよかった。