いもいもなにいも

おいものなんでもない日

ペンデュラム

 

どうにもダメな日というのはある。今日がそうだった。

 

昨日からちょっと不安定な感じがあった。こういうときは(食べれて、食べたいと思えるなら)お肉がいいと、一緒にいた人も付き合ってくれたので昨夜はお腹いっぱいにお肉を食べた。欲しくて買ったという、キャンプ用のガスコンロにフライパンを載せて、Amazonプライムでバラエティ番組を流して。気力は戻ったものの胃に血がいってぼうっとしながら、いい時間になって帰路についた。ガラガラの電車で、まだ土曜かあとぼんやり思いながらTwitterを眺めていた。iPhoneに挿せるイヤホンを忘れてきていたので、ナポリの男たちの生放送も聴けず、ウォークマンのシャッフル再生を無抵抗で聴いていた。

各駅停車の電車に乗って、最寄りの一つ前の駅で停車した。ああ次だな、と視界を少し上げたとき、なんか揺れてる、と感じた。風が強いのか?それとも、歩き方がすごい人でも乗り込んできたのか?と思わず左右を見渡して、斜向かいに座っていたお姉さんと目が合った。途端、ガタガタと音がする。やっぱ変だ。イヤホンを外して立ち上がった。まわりの乗客もみんな同じタイミングで立ち上がってぞろぞろとホームに降りた。みんな事態が飲み込めずにパニック寸前なのに、駆け降りるような人はいない、奇妙な理性があった。駅員さんのアナウンスで「地震」という単語の「じ」が聞こえるのと、「いま地震が起きている」と認識するのと、ほとんど同時だった。

ホームが高いところにある駅なので余計に揺れていたせいもあるが、もともと地震が人一倍苦手なのもあり、みるみる血の気がひいた。でも下手に歩くわけにもいかない気がして、周りの人達とちらちらと視線を交わしながら、アナウンスの続きを待った。その気になれば歩いて帰れる場所でよかった、ヒールでもないし。と妙に冷静に考えている自分と、こどものように慌てふためく自分と、ぐちゃぐちゃになった。どれくらい揺れていたのかわからないが、収まってからも電車が動くのかどうなのかわからずみんな立ち尽くしていた。こんな時なのに自然と2メートルずつくらいの間隔が保たれているのが異様だった。膝が震えている。1時間前まで一緒にいた人にLINEで宥めてもらい、開きっぱなしのTwitterを更新して震度や友人らの無事を知った。東京でこの震度でこんなに大きいのだから、東北はどれほどだろう。ぞっとした。

やがて、少し時間はかかるものの安全確認が取れ次第発車しますとアナウンスがあった。歩いたほうが早かったかもしれないが、このビビりきった足と気持ちで一人きり30分弱歩くよりはよかった。

どうにか最寄りに着いて、みんな足早に改札を抜けていく。不安でたまらない気持ちがよくわかる。帰宅した部屋の中は、いちばん心配していた本棚ふくめ特に変化がなくてほっとした。

もう眠ってしまいたかったが、余震が来たらと思うとそわそわして眠れない。最低限の持ち出し用荷物をリュックに詰めて、しばらく動画を見たりTwitterを見たりしていた。

 

起きた瞬間、何ごともなく朝が来たことにほっとした。洗濯と朝食を済ませたあたりで、体中がざわざわしていることに気付く。

学生時代にブチ折れて以来、衝撃にめちゃくちゃ弱くなった自律神経がばっちり終わっていた。今日やろうと思っていたいろいろなことをぜんぶ諦めた。無理矢理やってもうまくいかないし、それでまた気持ちがぐらつくからだ。

27歳まで半年を切ってもこうなのかという激しい自己嫌悪と、内臓の据わりが悪いような気持ち悪さとを無理矢理押し込むように身体を折りたたんで布団をかぶった。

 

それから19時ごろまでずっと、好きな実況者の動画を流しては、少し安心すると同時に眠くないのに寝落ちして、断続的に眠り続けた。波が引いた瞬間に脳が「今だ!」って強制的にシャッターを落としてくる感じ。変な夢をたくさん見た。

 

そして今は文を書くことで頭の中がずっとうるさいのを宥めています。こんなにびゃーっと書けると思っていなかった。相当濁っていたようだ。どれかひとつでも刺激がなければここまで揺り戻されはしなかっただろうに、ダメなときはとことんダメなものである。ダメでもまあ、なんとかなる。

 

このまま何もなければいいけど、いつかはくることであるとずっと言われていることだし、非常時に必需品以外で絶対に持ち出しておきたいものとかを考えておかないとなと思う。私は何を失くしたくないんだろう。何を諦められないんだろう。何を手元におけば、他のものはひとまず諦められるんだろう。

実のところそんなものはないような気もする。

 

でも、人生最後の食事にならば、昨夜のような食事がいちばんいいように思えた。