いもいもなにいも

おいものなんでもない日

いばらを燃やせ

しばらく続いた体調不良の集大成のように、突然ふっと目の前が暗くなった。場所は駅のホーム。たしかにけっこう飲酒はしていたものの、家に帰れないほどでも、気分が悪いわけでもなかった。終電が5分遅れていた。

あれおかしいぞ、と思うが早いかみるみる視野が狭くなってくる。ホームまで送りにきてくれていた人に、ごめん終電を逃してもいいでしょうかと伺いを立てる。付き合いの長さと元々の察しのよさから、すぐに体を支えてトイレまで誘導してくれる。

結果から言って月経で、トイレの個室でしばらく動けなくなった。頭の中がざあざあうるさいのに耳がどんどん遠くなる。どこが痛いかよくわからないけどとにかく腰から下が痛いし脚の感覚がない。

あ、死ぬ、と思った。

死にたくないと思った。

いちかばちかで立ち上がってトイレを出、待っていてくれた人に説明(というかもう単語)をしたらしい。そこからはもう介助の神の独壇場。感謝してもしきれない。というか、そこで待っていてくれる・どうにか助けてくれるという信頼がなければ、私はたぶんあのままトイレの個室で気絶して締め作業の駅員さんに救急車を呼ばれていたと思う。

 

目の前で倒れている人の差し出す手を、迷わず握ることができるか。

これが本当にできる人が身近に何人かだけいて、私はその人たちのおかげで何度も生きるのを諦めずに済んでいる。なにしろ生命力が低すぎるので、自分ですら予測できない条件下でうっかりぶっ倒れるのだ。

今回とは原因が違うが、同じくらい切羽詰まった具合の悪さで部屋の前から動けなくなっていたところを両親に跨がれたことがある(そう、彼らはたしかに私の上を一歩ずつ超えていったのだ。"踏まないように"だけ気をつけて)。彼らはどこへ向かったかというと「パン屋さん」である。こいつらと暮らしていたら助かる傷でも化膿して死ぬ、と思いエクストリーム家出をキメたのを今でも後悔していない。

そういう人たちと20年暮らしていたので、さらに付け加えるなら具合の悪い時にさんざん聞こえるように面倒がられてきたので、

人に助けを求めるとか、自分の体や心をまず守るために行動するとか、めちゃくちゃ下手なんですよね。

でもこうやって(ここまでひどかったことはないけど)、何度か思いっきり人に甘えさせてもらって、ちょっとずつできるようになってるなと思う。

そして「死にたくない」と思うたびに人生の急な方向転換をしている気がする。生きるのが下手だからしょうがないね。あの日あの場所で死んでいるよりずっとマシ、と思えるポイントがいくつかある。だからまだ大丈夫。

 

生きてさえいたらなるようになるし、我慢に我慢を続けていちどでもからだを粉々に壊すともう二度と同じレベルの我慢はできなくなる。どんどん死に近づいているように思えてしまうけど、私は流されながら死にゆくオフィーリアにはなりたくない。びしょびしょの服のまま、みっともなく川辺から這い上がるのだ。どうせ狂うなら、そのほうがいい。

 

あんまり生き死にの話にするのもあれなんですが、今回ほんと偶然に偶然が重なってなければ普通に人身事故案件だったし生きててよかったーと思ったもので。

生きてるので、好きなようにやる。