いもいもなにいも

おいものなんでもない日

それぞれの黄昏

 

マジで一月放置してしまった。いちにちいちにちの過ぎ去り方が早すぎる。それほど忙しかったわけじゃないのに。無事です。

 

毎日東京都のLINEからくる感染者の数は減らない。たまにガクッと下がったなと思うと、さりげなく200人を超えたりしている。会社のオフィスが入っているビルにも先日陽性者が出た。状況としてはぶっちゃけ、緊急事態宣言下よりもわかりやすくヤバい。なのに春〜初夏あれだけ怖がっていたくせして、その恐怖を忘れつつある自分がいる。映画を見に行く前に、買いたいものがあるからとヒョイと百貨店に入って行ったりする。消毒や検温、マスクの着用やフィッティング時の対応の変化などはあるが、ビクビクせずに買い物をすることが"できてしまっている"。マスクをして手指を消毒していれば無敵のように思える。そんなはずは絶対にないのに。

どこか、罪悪感はある。でも、5月に感じていたような恐怖はない。罪悪感だけがあるということは、"みんながやり始めたら躊躇がなくなる"ということなので、実は結構破滅的な状態なのではないか。それでも今度は、「まだ怖がってるの?」という周囲の目に耐えられずに、死ぬかもかしれない肝試しに向かい続ける。

不安や恐怖を維持し続けるのは難しい。防衛機制が働いて、どうしても「こんなことは大したことではないのでストレスとして認識するのをやめます」という脳の指令を抑えることはできない。

 

何がどう正しかったかは、終わってからじゃないとわからない。なので、今のこの状態をいつか死ぬほど後悔しているまたは死んでいて後悔できなくなっているかもしれない。もしくは、あんなに怯えて馬鹿みたいと恥じ入っているかもしれない。誰にもわからない。

でももう、一月まるまるゴミ出し以外は外に出ない、みたいなことは、耐えられないような気がする。なんでできたんだあんなこと。

 

ここにきてまた、バランスのとり方を悩む時期に差しかかってしまった。

とにかく旅行が好きなので、GOTOで都民の利用が解禁されるとあっては、ぜひ利用したくなってしまう。というか、「利用しないと損をした気になる」。他人が得をしているというだけで私自身になんら不利益はないはずなのに、そう感じるだろうと思う。難儀。

でも私はきっと使ってしまう。許せないと思う人、本当にごめんなさい。距離をとってください。……としか、今は言えない。

 

引っ越しが好きなのも含めて(マイルド貧困のくせにこれは極めて危険な傾向なので今の部屋はなるべく長く住み続けたい、また事件現場にならない限りは)、常に"ここではないどこか"に行きたがっている気がする。

何からそんなに逃げているのか、はたまた何をそんなに目指しているのか、自分でもわからない。一生見ることのない景色の方が絶対に多いのに。

大きな図書館にいるときの「全て誰かに読まれたことのある本か、読まれることを期待して選ばれた本なのに、私は一生読まないだろう本ばかり」というときめきに似ている。

これもあまり理解されなそうだな。余白にときめきながらそれを塗りつぶしていくことに快感を感じる、さては変態では?まあいいか。ときめきは自由。

 

去年までより日常生活で圧倒的に"選択"の機会が増えた。選択することってそもそもかなりストレスを伴うことなので(シリアスにメンをやっていたときは、選択することが何においても本当に苦痛だった)、ごまんと言われていることではあるが例年よりも精神が磨耗している前提で暮らした方がいい。選べなくなってるときは、もう相当きてるからすぐ休んで丸一日寝てください。丸一日も人を一人休められないような場所はすでに破綻しています。

友人知人に一生懸命な人たちばかりいるので、勝手に心配している。私が笑っていて欲しい人たちくらいは、せめて苦しまないでいてほしい。私にできることは「休め」「逃げろ」「君にいなくなってほしくない」と伝えることくらいしかない(それ以上できることがあると思い込んだらそれは共依存の入り口だから駄目。人は誰のメシアにもなれない)。

なのでそれだけは伝える。伝わってなかったらせっついてください。出力上げるから。

 

あのときやあのときやあのときに極端な選択をしていたら聴けなかった歌を聴いて深く胸を打たれたりしている。

そういうものとして、生きている。それぞれだけど。