いもいもなにいも

おいものなんでもない日

線路をまたぐ視座

 

ひとつ、夢が叶うかどうかの結果を待っている。と言っても、私が一方的かつ大袈裟に感じているだけだ。たまたまタイミングよく縁があって、なんとか瀬戸際まで来れてしまっただけで、あの日たまたま届いたメールをいつものようにろくに読みもせず削除していたら掴めなかったチャンスだ。

それでも結構、そわそわしてしまっている。

前進するために多少強引でも自分を鼓舞する材料を見つけて「大丈夫」と言い切るようにしているが、多少強引であることの自覚はあるので、結局うまく転ぶまではいつも不安なのである。ひとを励ますときにそんなところは見せないが、私は私の幸運や努力を手放しで信じることができない。

数秒前まで「まあいけるっしょ」とかわざとナメた態度をとっていたのに「わかんないけどね……」と及び腰になる私を見て思わずエリートがきちんとしたフォローを入れようとしてくれたのだが、「どうかそれ以上はやめてください!!」と強めの懇願をしてしまった。情緒が不安定にもほどがあるだろ。至って理性的にひとを励まそうとして紡ぎはじめた言葉を当人に元気よく遮られることがあるか?あるんですよ……ごめんね………。

私はこの人がその先どういうふうに「大丈夫であろう理由」を説明してくれるかわかっていて、自分でもそれを考えてどうにか不安を払うようにしているのでその"根拠"の信憑性が高くあってほしいと思っていて、でもそれをこの人に言われてしまったらそれは私にとって「期待の裏付け」になってしまう。1か0かの結果を待つだけの段階でそれは、今の私の精神バランス的にあんまりいいことではない。しかしながら、(この人は実際無茶だと思ったら軽々しく大丈夫だとか言わない人だというのもわかっているので)元気付けようと真面目に励まそうとしてくれたこと自体は非常に嬉しいありがとう、みたいなことをもっと更に抽象的な感じで必死に伝えた。たぶんかなり正確に理解してくれていた。ちょっと笑っていた。ビビリの小型犬を見たときみたいな気持ちだったんだろうな。

別に、だめだったときに「大丈夫って言ったじゃん」なんて言わない。言わせてるのは私の曇り顔だ。けど、だめだった時に「信じてくれてたのに」と思うことは、ダメージがでかい。そしてだめだったなら、ダメージを受けて立ち止まっている場合ではなくなるのだ。

こうして書いている間もずっと、だめだったときの予防線を張っています。本当にこの性質はめんどくさい。

うまくいってるといいな。

こうやって祈るように思っていることはそのときにしか書けないと思ったので書いた。

"言いかけた"にすぎないのにもうかなり励まされてしまっているからすごい。強すぎる。信頼と実績。うまくいったらめちゃくちゃ祝ってほしい。そのときは素直にガッツポーズしまくる。

 

やがて君になる』が完結した。真夜中にKindleで最終巻を読んで泣いた。いくらでも語れるけど全部読んでる人じゃないと全く意味わからん奇声にしか聞こえないと思うのでやめます。こわいよね……沼の底から聞こえる悲鳴…………。

 

あと最近……なにか楽しかったこと………コイキングに「そじょう(俎上)」という名前を付けており、ギャラドスになったので「そしょう(訴訟)」に変えて育てていたところ、今日バトルで活躍したので縁起を担いで「しょうそ(勝訴)」に変えたくらいかな……こんなおやでごめんな。遊び方が暗すぎる。

ストーリー終わらせたくなくてキバナ戦前で油を売っている。はやくチャンピオンになりたい。でもライバルとしてのホップを失いたくない(何か見た)。

 

明日は退勤後に地獄のような職場の飲み会(強制参加)があるのでどれだけ早く抜け出せるかを課題として行こうと思っています。定時から開始まで2時間あるんですけど。マジモンのバカが企画してんだなと思ってる。その2時間分給料くれ。苦痛のオードブル。

 

歩道橋の上からスカイツリーが見えて嬉しかった。よく晴れた穏やかな休日だった。