いもいもなにいも

おいものなんでもない日

覗くアクアブルー

 

・コンタクトについて

私の使っているコンタクトレンズはうっすら青みがかっている。

高2の夏、ほんの一瞬だけオーストラリアへホームステイに行ったときあちこち動き回るには眼鏡があまりに邪魔くさくて(たぶん、鼻が低いのでずれやすいのだと思う。かなしい)、コンタクトを作ろうと決めた。それからずっと、目に何かあるとき以外は目にレンズをはめて過ごす生活になったので、もう8年くらい経つ。

だいたい寝ぼけてるときに装着してるし、外すときも今までまったく気にしてこなかったけど、裸眼とレンズで見える世界がほんの少しだけ違う色をしていることに昨日の朝気付いた。めちゃくちゃな近視と乱視で尋常じゃなくぼやけた世界にピントを合わせたあとの視界は、本来の色よりほんのすこし、本当にほんのすこしだけど、青っぽい。たまに眼鏡を通して見る世界は(反射の関係なのか)裸眼やコンタクトよりも眩しかったりする。

わたしは何を見るにも何かのフィルターを通している。気付くことは稀で、気付いた後も数秒でもう青みがかっているはずの世界が気にならなくなってしまう。

あまりに示唆的で、朝の洗面台で笑ってしまった。突然人生の何かに目覚めるな。

 

 

・指輪について

指輪って、つけていると指輪そのものやつけている本人よりもその向こうにいる"誰か"に注目されたり言及されることが多い。自分の趣味で買った雑貨屋のファッションリングだとしても。それがひどく面倒だったり心強かったりする。どこでもそういう文化なのかな。耳飾りがそういう意味合いを持つことがある地域とかないのかな。ほかのアクセサリーよりも圧倒的に密着度が高いし動きの邪魔にならないから機能的にも普及しやすかったのかもしれない。

まあさすがに、「木肌に止まっているキツツキ」のゴツいリングをつけている時は"誰か"の存在を探られたりしないし、なんなら鬱陶しいキャッチとかにも逢いにくい。ジェネリックメリケンサックだ。

祖母が日替わりでつけている指輪はどれも祖父からの贈り物で、とりわけ金に大きめのエメラルドの石が嵌ったやつが私のお気に入りだ。力強くて美しい。いつか私にあげるよと言ってくれているけど、その日はできるだけ遠くあってほしい。大きめのどんぐりくらいある、カットがミラーボールみたいになってる水晶のペンダントトップは小学生の頃にもらった。あまりにゴージャスで実際に着けたことはほぼないが、たまに取り出して光に当ててみる。サンキャッチャーみたいできれいだ。

 

 

雑な見出しをつけて脈絡のなさを無かったことにしようキャンペーン。

夕方から腹痛と貧血でダウンしているので休日だってのにろくなことができない。こういうとき、文章で気を紛らわすことができる性分で良かったと思う。薬が効いているわずかな間だけだが。

 

寒くなってきた。星を見にいきたい。