いもいもなにいも

おいものなんでもない日

くじらの胃の中

 

クリスマスを過ぎたら繁忙期も落ち着くと思っていたがそうではなかった。激烈に人手が足りない。大晦日も元日も仕事。この地獄もあとひと月。スーパーの開いてる時間にはほぼ帰れないし、朝はうまく起きられない。こみ上げる吐き気がピルの副作用なのか慢性化したストレスのせいなのかも判断がつかない。フロアを跨いで走り回っているせいで筋肉痛が治らない。夜中にドカ食いするから痩せないし起き抜けの吐き気も悪化する。窓のない職場からは、日のみじかさすらわからない。

 

それでも今年は終わる。時は過ぎてくれる。ぜんぶうしろに、ちゃんと流れていく。

 

 

心の栄養にも種類があって、たのしいからといってあんまりひとつに偏るとよろしくない。久しぶりに会ってもかっこつけずに話せる友人がいろんなところに少しずついてくれて本当にありがたいことだなあと思っている。地に足がつく心地がする。あたまのうしろから「笑っている自分」を覗いているような感覚から、自分のからだにきちんと潜りこめる感じがする。

いつまでも心配かけてごめんね。でも今年は物心ついて以来のレベルで平和に過ごせたと思う。駅で死にかけて人に救われて二日後に退職を決めた以外は。でもそれも、タイミングを探していただけだ。一人暮らしを始めたのだって、実家で倒れているのを放置されたのがきっかけだし。私はいつも死にたくないだけだ。逃げないと死ぬなら迷わず逃げる。死んだ方がマシな状態になる前に。悲劇に浸って溺れ死ぬつもりは毛頭ない。

あんまり悲観しないで応援してくれるひとがたくさんいるのもあったかいなあと思うし、なんの準備もしないで突然走り出す私を見て「アホか」と呆れる人のことも家族のように感じてくれてるんだなあと思う。実の家族は「いいんじゃない?」としか言わない。頑固娘なのを痛いほど知っているからかもしれないが。

 

転職にあたり、私にしては本当に珍しく、本当の本当に珍しく両親に本気の"相談"をした(高2で「部活を辞めて夏休みホームステイへ行きたい」と話したとき、高3で「第3希望まで全部落ちたら留年させてください」と言ったときの2回しかそれらしいことはしてない/しかもその二回も相談というよりは援助のお願いだ)。

転職をするかどうかではなく、「既にもらっているそこそこ条件のいい内定を蹴ってでも第一志望の企業の結果を待つか」の相談をした。不安で仕方なかったのだ。不安なとき、私はよく選択を誤る。それでも今回両親相手に相談をしようとしたのは、時が経ったからだと思う。

元バンド仲間がいまかなり有名人になっているが本人は全く関係ないささやかな仕事をしている父の、「おれはバンドを続けてやらなかったのをしばらく引きずったし今も思うことがあるから、やりたいことをやれるならやってみた方がいい」という意見に重みを感じた。親と子の関係の健全なそれにものすごく久しぶりに触れた気がした。こちらから歩み寄るのはまだこれが限界だけど、最初からひとつもなかったわけでも、あれきりひとつ残らずなくなったわけでもなかったんだなあと思って、自分の家に帰ってほんのちょっと泣いた。そしたらちょっとすっきりして、翌日正式に送られてきた"じゃない方"の内定通知をお断りすることができた。自分にかけられた何重もの呪いをひとつ、自力で解くことができた気がした。

きっと私にしかわからないつまらない呪いだ。それでもいい。私がわかっていればいい。

 

この前の休みに部屋の大掃除をして、前回の引越しからほぼ開かずの引き出しと化していた棚の中身を半分以上捨てた。高校生の頃の日記も出てきた。中身を読もうか迷って、やめて、そのまま次の日の燃えるゴミに出した。あの頃の日記はそのまま鬱憤のかたまりだ。いつか燃やすと決めていたので、ちょうどよかった。この手で燃やさずともゴミ袋に突っ込みさえしたらよかったのだ。そう思えるまで長かった。

 

昨夜ものすごくくだらないことでめちゃくちゃ笑って、鬼のツノが生えそうだった頭から湯気が出た。いろんなことがどうでもよくなった。赤ん坊なので楽しいことがあるとすぐ頭があったかくなる。わかりやすくバカっぽくて恥ずかしい。

 

紅白のaikoの出演を逃したくないので退勤したら風のように帰るぞ。どうか21時以降に出てくれ……。