いもいもなにいも

おいものなんでもない日

メモリーカードの中の海

ぼくのなつやすみ2」をプレイしている。

推し実況者が先週始めた新シリーズでぶち抜かれたので、実家からPS2を運び、中古ショップをはしごしてソフトを手に入れた。行動力だけはある。

 

https://youtu.be/vSQOuY-UVlA

↑とにかく見てください。良さしかない。

 

実家から帰る電車に乗りながら、リュックの中に入れたPS2を山手線で運ぶ26歳になるとは数日前まで思っていなかったな……と不思議な気持ちになった。

 

ゲームはめちゃくちゃ面白いです。まだ三分の一くらいだけど、グラフィックもストーリーもシステムも面白い。実況が倍楽しい。

わたしはゲームが下手なので、だからこそ実況を見るのが楽しいというのが多分にしてあるんだけれど(自分だと詰んでしまって見れないギミックやストーリーを見れるのが嬉しいのと、一人でやると唐突に白ける瞬間があるのでストーリーがかなり良くないとやりきれない。ゲームユーザーとして厄介のトップだと思う)、先述の動画を見て(もしや……これなら私でも詰まずにできる?)とドキドキした。

このまま一生「名前だけ聞いたことあるゲーム」になるはずだった。発売当時の2002年、いまから18年前の夏、私はこのゲームを欲しがらなかった。出会いというのはどこに転がっているかわからない。たとえゲームでも。

 

ちょうど親世代の子供時代が舞台なので、実家で動作確認がてら1時間半(動作確認の範疇を超えている)やったときも、後ろから見ていた両親が楽しそうだった。

こういう、穏やかで、完全で、幸福な休日を、2002年に過ごせていたら。

…とどうしようもないことを思ったが、このゲームをここまで楽しいと思えるのは、私が、ついここ数年で、「旅情」とか「景色の美しさ」とかを解する情緒を獲得したからであって、だからそんなものははじめから存在しなかったのである。惜しむ必要も、何一つない。

 

遠出、一緒にいる人(つまり家族)の情緒が乱れやすいと平時より逃げ場がなくて最悪だし自分は方向音痴だからひとりで別行動もできないし最悪だと思ってたんですよね。景色も綺麗なことはわかるが綺麗なだけだなと思っていた。興味のないタレントと同じカテゴリー(色々ひどい言い草だが他に適切な例えが見当たらない)。

今は誰かと行くなら情緒の安定している友達と一緒に出かけられるし、ひとりでもスマホがあるから生死を分かつ迷い方はしないし、遠出そのものを楽しむ余裕がある。旅行だいすき。後何年行けないのかわかんないけど。

 

人と会う予定や、大切な人たちの晴れ舞台がだめになったりしどおしでやり場のない怒りや悲しみにのまれそうになったりもする。が、どうしようもないものはどうしようもないので、ゲームでエモい景色を見て、物語を楽しんで、今年のなつやすみとする。

室内のひとり遊びが上手なことが生存確率を上げることになる局面がくるとは、多様性って皮肉なものだ。