いもいもなにいも

おいものなんでもない日

誰と見る花

 

普段私の人生に対してかなり肯定的で、口を出したりもしない祖母が「あなたもそろそろ結婚してもおかしくない年ね!」と言ってこちらの出方を伺ったことでまあまあのダメージを受けている。

(こないだからこんなのばっかりですみません)

どうしてみんな25歳目前になると結婚結婚言い始めるの???母が結婚した年齢も姉が結婚した年齢も私の人生には関係なくない???むしろこの幸せなご家庭コンプレックスをこじらせて飲み込みきれていない私が「結婚したら幸せに決まってる!誰でもいい!」みたいなこと言い出したら強めに殴ってくれよ………………何かに取り憑かれているに違いないから………。

ていうかもうそういう一連のステレオタイプは姉がやってくれたから私はひとまずいいじゃん。世界一有名なマウス夫妻等々をゲストにそりゃもう盛大にやったじゃん。

ほとんどまともな会話もしたことがない(大げさなとよく言われるがマジなので仕方ない)のに美しい家族愛の一部みたいなコンテンツに組み込まれていて豆鉄砲食らった鳩の気分だった。いやわかってる、そうするしかなかったしそこでちゃんと照れ笑いを浮かべて見せるくらいの分別はあった。誰がどうとかではない。

が、あれが私のこじらせに拍車をかけたのは間違いない。

誰もが「次はあなたね」という目を向ける。人によっては、実際に言葉をかけてくる。

全員がそれを祝福だと思っている。

 

そもそも相手どうすんねんという話は置いて、

その「結婚する」という(名)動詞に含まれる莫大な物事──役所に届け出る、家族に挨拶をする、色々な手続きを踏む、式をしたりしなかったりする、子を成したりなさなかったりする、自分ではない人間を嫌ったり嫌われたりせず共に生きていく──を、なぜ世の人々は抵抗なくするりと受け入れることができるのか、なぜ私が今更そんなことにここまで動揺するのか、わかっているような、わかりたくないような、やっぱり何もわかってはいないような、気がする。

本当は型にはまってしまいたい癖に下手に知恵をつけて意地を張ったが故にどこにも着地できていないんだろうかわいそうに、と言われているような気分になる。これを被害妄想という。

そこまでわかっていてなお、そう感じる。

たぶん誰かと生きてはいきたいんだと思う。

そして自信がないのだ。

私には、渡せるものがない。

 

と、いうようなことを一族のなかでは唯一そしていちばんわかっていてくれるような気がしていた祖母にアレを言われてしまったので、もうより一層(また私だけ一族と感覚がズレている…)と怯えてしまったわけです。愚かですね。

 

正解かどうかなんてやってみなきゃわかんないしここまで書いといてそんな予定は全くないしそれ以前の問題が山積みなので、今日のこれは天井のシミを怖がってる子供がグズってるのと大差ない話なんですが、ちょっとまあ、感情が揺れてしまったので、書いとこかなって…………。

……なんで私こんなことをちょっと泣きながらブログにしたためているんだ?(A.気圧の低下がヤバいからです)

もっとハッピーに考えたいトピックなんだけどついつい悪い癖が出ますね。

 

一人でも楽しいし、誰かと一緒にいてもっと楽しいならそれがいいよね。そのエネルギーでこまごましたこと片付けていくものなんだと思う。人生広がって怯えすぎ。はい。