「腕時計の扱いは恋人の扱い」とかいう心理テストだかなんだかが昔あった気がする。それが真実なら私はどうなってしまうんだというくらい、私の歴代の腕時計は酷い目に遭っている。
小中の頃のなんかもう覚えてないけど高校〜大学時代はとにかく授業中いちいち外す、食事中も外す、パソコン使うのにも(右手に時計をしているのでマウスいじるのに邪魔だから)外す。そして失くす。または、所作がぎこちないせいであちこちにぶつけては壊す。仕事始めてからは重いものを持ったり箱を潰したり荒い動作も増えたのでさらにバキバキに壊す。
休みの日なんかほぼつけない。
大昔ペアで買った(しかも自分が買った側)時計もなんやかんや2、3年で失くしてしまった。ファミレスで。
ほかにものを失くしやすいわけでもな……いや………眼鏡よく失くすわ………。
着脱可能な、ちょっと拘束感のあるアイテムすぐ失くすな。アクセは失くさないのに。必需品である意識はあるのに。
高い時計をしないから油断して失くすのか、どうせ壊すか失くすと思って高い時計を買わないのか、どっちが先かよくわからない。わからないけど社会人三年めにもなっていつまでも雑貨屋のそれっぽい時計に頼っては別れるようであってはいけないような気もする。
そんなことが頭によぎりつつ、またゾゾタウンで安く買ったそれっぽい腕時計が壊れ、雑貨屋のかわいいが安い時計に買い替えた。
目覚まし時計は15年近く同じやつ使ってるのに……。
さてここで腕時計と恋人を重ねてみましょう。
最低じゃねえか。
身に覚えはない(相手がどう感じていたかはわからないが)ので、きっとあれは迷信だ。
そう思いつつ、きっとまたてきとうに選んで安く買った腕時計をなくす。
………次はちゃんとしたやつ買おうかな。
友人と別れてからヒトカラに行った。帰りにレジでカーネーションをもらった。ピンクがかったオレンジで、固い蕾もまだついている。最近の居酒屋とかカラオケは大変だなあ……と思った。そういう仕事をしているので今日が母の日であることを忘れていたわけではないが、そういう仕事をしているので自分のものとして考えていなかった。いろいろ難しいところがあるとはいえ事前に母へ「当日は無理だけど近いうちに」とLINEだけはしたけど。
部屋について、花の水切りをして、手頃な瓶に挿して、ふと(私は"カーネーションを贈られる側"にはならないかもしれないな)と思った。
悲観ではない。今の私の状況とさして変わらない未来の延長に誰かパートナーがいたとして、私は子どもを産む気がない。母親になる……なれる気が全くしないからだが、この辺は割愛。楽しい話でも、書きたいことでもない。
とにかく、たぶん私は母にはならないし、母として母の日を迎えることはきっとないんだなーと思って、改めて生けたばかりのカーネーションを眺めた。べつに切なくならない自分になぜか少し安心した。
花はきれいだ。意味がなくても。