いもいもなにいも

おいものなんでもない日

錯視の投げ的

 

見た夢の、覚えている部分。

めちゃくちゃ足の長い大きな蜘蛛が枕元のカーテンに張り付いていた。そっとそこを離れると、何故か自分のアパートのベッドサイドのはずが部屋が実家の和室になっていて、母がそこでタブレットを眺めて機嫌よくしていた。ええ…と思いながら、そこにでかい蜘蛛がいるのでそっとこちらへおいでよとかなんとか声をかける。母はつまらなそうに蜘蛛を一瞥し、驚き、そしてそれをむんずと掴んで、嬉々として私の顔に近づけてきた。

「……嫌!!!」と叫んで目が覚めた。最悪すぎる。でもこれ大元はわかっていて、数日前に部屋の中でまあまあ大きめの蜘蛛を発見したのを、素手で触るのヤだなといろいろ対応を考えて別の部屋に移動したすきに見失ったからです。「あれ」よりはマシだけど、蜘蛛もかなり苦手なので、夢に出た。また出会ったらどうにかしないと。あと、夢の中のシーンは覚えてないけど、aikoカバーの「セシルの週末」を歌っていた。

夕方あたりに思い出して、久しぶりに何度かループで流して、歌いながらめんどくさいチャットの返信をした。何度聴いてもいい。あのオムニバスカバーアルバム、今思うとものすごいラインナップだな。オリジナルバージョンよりも、ちょっとおとぎ話みたいなアレンジで、刺激の強い歌詞の良さが引きたつ素晴らしいカバーだ。うたいたくなるカバー。

ああ、でも、これも歌詞見て今の私を勝手に見積もって余計なこと言ってくる人間がいそうな曲だ。

バカじゃねえの。初めて聴いてからすぐとりこになって口ずさんだ、21年前の8歳児にも同じこと言えんのかよ。当時はあれだけ平易な英語部分も何言ってるかわからなかったくらい幼くて、それでも惹きつけられたのだ。ユーミンaikoも怪物だ。ただそれだけのこと。

実家にまだあるか、さすがに手放したか…と思ってなんとなく検索したらまだ世に在庫があるだと!?買っちゃおっかな………

 

急に涼しくなって、下期も始まって、気の抜けない日々がもうしばらく続くのかとあらためてうわあとなって、余裕がなくて、機嫌がわるい。やあね。

わたしが29歳であることは、ほかの何とも関係がない。ただ29年生きてきた。あれから10年、的に当たらなくなった斧を投げ続けてやっと諦めた。あれから9年、生きるのをなんとか諦めなかった。あれから6年、まだ窓ガラスに怯えてる。あれから3年半、前と違って毎秒辞めたいとまでは思わない。あれから半年、最後に行ったお店のラザニア美味しかったな、くらいのことはもう静かに思い出せる。毎日必死だっただけ。他人に「もう」だの「まだ」だの、矢印の向きをいじられるようなことじゃない。言ってくる人のコンプレックスや暮らす世界がよくわかるので、おやまあたいへんですねと思って「参考」にはさせてもらうが。距離の。ほかのなにを勝手に可哀想がられて欲しくもないお薬をあてがわれてもいっそう迷惑だし、肉を切らせるよりは楽だなと、自分自身でさえそれを大袈裟にくさしたりする日もあるけれど。そんな日はいつも、肺の奥が重い。

 

お前のてのひらの窮屈な砂時計に私を押し込むな。砂漠の真ん中で割ってやる。