いもいもなにいも

おいものなんでもない日

パジャマに悩む季節

 

aikoの番組観覧が当たった!!!!

思わず当選メールをエリートにスクショして送った。私はブチ上がるといつもこの人に喜びを伝えてしまう。別に決めているわけではないし、同じ量で喜んでもらえるようなことを伝えているわけではない(むかし一緒に行くわけでもないライブの追加当選を電話で一方的に伝えて満足して切ったこともある、あれは我ながら暴走していた)。

たぶん、一度に自力で受け止めきれる幸福の量が少ないんだと思う。でも喜びはつらいことと違って鮮度が大事なので、できることなら無駄にしたくない。自分が嬉しかったということを誰かに知っておいてほしい。というような気持ちでいつも速報をかましてしまうのだが、大抵スルーされる。でも実はこの方が、毎回無邪気に共に喜ばれるよりも気が楽でいい。相手の感情まで浮き沈みさせたくない。いやうるさいのはすまんやけど。

こういうのをちょうどよくほっておいてくれる相手というのは、とってもありがたい。それはただ優しくしたり同調したりするより難しいことのように思う。かといって本当に重たすぎるときは突然あらわれてガッと荷物を持ってくれたり、「それ持つ必要ないやつでしょ」と余計な部分を削いでくれたりする。匙加減のプロかよ。

私にはそれと同じように(それに釣り合うように)、誰かやその人をすくい上げることはたぶんできない。

だけど私にそれを望まない人間だから、こうやって過ごすことができているのかもしれないな。こうやってというのがどういうものを指すのか自分でもわかっていませんが。この辺は概ねうわごとです。

 

私は私の知らないところで誰かの何かを軽くしているかもしれないし、そうであってほしい。私がそういうのを故意にやると、言葉が多くて大げさでよくない。私は私のそういうところがあまり好きじゃない。そうするしかできないから、無いよりマシなときはやるけど。

 

いろいろ重なって己の無能さや不運がしんどくなってきたもののエリートはじめ有能で愉快でやさしい仲間たちがいてくれるってことは私の持っている何かも捨てたもんでもないんじゃないの……、と深海から遠く水面を見上げるような無理やりな自己肯定を行う。外の温度は届かないが、光はちょっとわかる。

ていうかこういうネガテイブドツボにハマりかけのときはたぶん風邪のひき始めなので風邪薬を飲んでたっぷり寝たほうがいい。脳はバカなので疲れると勝手に悲しくなってしまうな。

楽しいことが待ってるんだし、人生を楽しむことを怖がっていてはよくない。

 

眠ってばかりの一日だったからか、まだ夢を見ているような気持ちでいる。パブロン、あんま効かないけどめちゃくちゃ眠くなるよね。とにかく寝て回復しろという気合を感じる。

 

よしなしごとにも程があるな。

でかいトピックがない。が、別に平穏が訪れたわけでもないので何かを深く考えるような暇もない。幕間のような数日。