いもいもなにいも

おいものなんでもない日

雲の向こうの光の輪郭

 

クソ長いぞ!!アウトプットの弁が壊れているので。

 

・29歳になりました!!正直まだ自覚がない、というか、もう32歳くらいだった気持ちすらある。20代最後だね〜!!まだ若いよ〜!!みたいなのもううんざり。文字通りだけならいいが、半数以上の確率で、家族を得るつもりは、ひいては子を産むつもりがあるのか、あるのならお前のその態度では"間に合わない"と言いたげな探りが入ってくる。うるせえ全員燃やす。末代まで。ああ、これでお揃いですね?

怨が出ちゃったけど歳を経るのは悪くない。出来ることは、楽しめることはまだ、増えていく。

 

・大学1年の夏、19歳になったときは自分もまわりも浮き足だって、10代最後か〜とか、もう青春とか言ってらんね〜とか、青いことを散々言ってのけたものだが、そこから10年経つと思うと本当に青すぎてゾッとする。だのに10年前も似たようなことでメソメソしていた。誕生日ケーキとしてイヤイヤ渡されたローソンのミルクレープをどこかの公園で食べた。どこの公園か、何があってそうなったのか、そこから数ヶ月でどうしてああなったのかは、はたちのころの脳みそブカブカ期間にうまいこと溶け出して忘れてしまった。でもあれからミルクレープを見る度に悲しかった。味は好きだから食べるし、相手は最初からそんなこと覚えていないから何も言わなかったけれど。同じ木からのびていても、育ちの悪い枝葉というのはあるものだ。切るのもそんなに簡単なことじゃない。腐って苔むして、ほかのいきものの餌場になるならいいのに。

 

・崖から突き落とされて転生、とはいかず、ゲル状になっているような心身をガン無視して予想どおりにはちゃめちゃな仕事をとにかく週末までやりきって、誕生日前日に友だちと会ったときに出た声に力がなさすぎて自分でもびっくりした。何が起きたのか理解しているし、何をどうするわけでもないのに、何が起きてどうしたらいいかわからない、というような言葉をパンケーキを頬張りつつこぼした。友だちも、パンケーキを頬張りながら、わからないね…と心底わからない顔をしてくれた。そして私好みに選び抜かれた紅茶の茶葉と、じゃがりこが飛び出すガチャ景品をくれた。飛び出すとは知らずに、二人でどうやって使うんだ?と説明書に従って操作して、勢いよく飛び出したじゃがりこ(を模したプラ棒)を目の当たりにして二人で笑った。笑えたのだ。

 

・誕生日とその翌日は、また別の友だちと旅行した。はじめ、というか6月頭くらいから、どうせいちばんよくてこのまま放置で、わかっていても自分はべちゃべちゃに落ち込んでるだろうなと踏んでいたので、一人旅しようかなと思ってはいた。悲しき経験則。そして「こうなったからには出雲大社でも行こっかなまじでアハハでも今からじゃサンライズ出雲は取れないし車も運転できないからあんまし回れないかな〜どっかおすすめある?」と自暴自棄の私あるある早口弾丸自己完結をかましかけたところ、「運転手やろうか?」「はい?ほんと?…私は差し伸べられた手は容赦なく握るが?」「いいよ。月曜有休とれたらね」…話がはやくてうますぎる。

かくして1週間前に驚くほどトントン決まった島根弾丸一泊旅行を決行したのである。

 

・前日まで大雨だったようなので少し不安だったが、前日会っていた晴れ女の友だちが「しかたないなあ、島根晴らしといてあげる」とかっこよく宣言したのがまことのことほぎであったかのように旅行中は晴れた。神?そんな気はしてたけど。

(1週間後の今週末、まわった場所にものすごい大雨被害が出ていて胸がギュッとして落ち着かない。すごくきれいで、穏やかで、人はみんな明るく優しくていいところだった。だからというのはおかしいが、少しでも被害が広がらないように祈っています。)

やったーついたー!と出雲大社の駐車場について、案内板だー見とこーと近づいて行ったところ、足元の側溝がマジで見えておらず、まんまとハマって左足を強打&小石で脛に小指の爪くらいのちょっと深い穴が開いた。29歳の誕生日である。友だちは驚き焦り心配してくれたが、転び慣れている(悲しい)ので、打撲したっぽいけど去年捻挫した時はもっとやばかったからヘーキヘーキ!とそのままおして参拝した。(あとで様子みようとズボンの裾をまくってみたらまあまあ出血しており、友だちがそれにまたドン引きしながら絆創膏を買いにコンビニに寄ってくれた。29歳である)

出雲大社は思っていたより大きかったが、思っていたよりもささやかだった。よくメディアで見るおおきなしめ縄は脇の神楽殿のもので、本殿はすごく開けた広場みたいなところから離れて参拝するスタイルだった。この形式ちょっとわくわくする。お賽銭箱と本殿の間の距離に通る風がふしぎときらめくようで。全体的にかなり好きな場所だったのでまたお参りしたい。今度は旧暦10月に………。

隣接する博物館は期待の5倍ボリュームがあった。あそこだけで一日いられるし、もしかしたら足りないかもしれない。我々は博物館大好きブラザーズなので「2時間でまわりきるはずがなかった…」と後ろ髪をひかれながら早足で見学した。でもたたらの体験はした。初めて見たから。足から血流れてたのに。楽しかった。また行く。個人的には、当初の出雲大社のすがたとしていろんな説を元にした模型があったのが楽しかった。あれまとまってる本とかないですか?読みたい。

閉館ギリギリに博物館を出て、そのまま稲佐の浜へ。少し曇ってはいたものの、傾きつつある日の光がとてもきれいで、神話の地だ〜!!!となった。そして悲壮感たっぷりの流木に感情移入して、しばらく黄昏れた。私がこういう海岸線をずっと歩くのが好きだと知っている人、夕暮れの水面を眺めるのが好きだと知っている人、何度も一緒にそうした人は、もういない。推しのぬいを撫でながらただそんなことを考えていたら、友だちがそこでプレゼントをくれた。漫画か!!?なかみはいいにおいのルームスプレーだった。しばらくまともに眠れていない私を気遣ってのものだった。友よ…………。私の友だち、全員神さまがつかわしてくれたとしか思えない徳の高さでまぶしい。時間かかるだろうけど、元気出したいなあと思えた。みんなが落ち込んだ時、私だって力になりたい。

 

・翌日は出雲をでて、月曜なのでほぼ人の歩いていない玉造温泉街を歩いて、自律神経が終わったまま汗だくで玉作湯神社にお参りして叶い石のお守りをつくり、足湯を楽しんで、松江城を(時間の問題でお城だけに絞って)見学して、中海?をぐるっとまわった(書きたいこといっぱいあるけどそろそろアウトプットの弁がきしみはじめた)。私は免許持っていませんし方向音痴かつ注意力散漫なのでろくにナビもできません。わかりますか?わたしの友だちが神だということが………。

松江城すごく面白かったです。天守閣からの景色はもちろんのこと、いちばん感情が揺れたのは、塩蔵の横にある井戸を覗き込んだ時のあまりの深さ、冷ややかさ、たぶんそんなのおかまいなしに観光客が投げ入れた小銭の鈍い反射を見たとき。ここに落ちて死ぬの嫌だけど、ここに落ちるのなんか簡単だろうなあ。と思った。そこで気を引き締めたはずなのに、城を出て数十歩もしないところで3センチくらいの段差を踏み外してズベッとこけた。今度は右膝をえぐった。書いていませんでしたが両日同じボトムスを履いていまして、色は白でした。うーんバカ。友だちは今度こそ本気でビビっていて、「自分じゃ結構平気と思ってるだろうけど……相当キてるんだよ……」と""マジ""のおことばをくれた。わたしもさすがに観念した。近くに水道がなかったので、となりの神社の手水舎で傷口を洗わせていただいた(傷がデカくて血が多かったので…)。お参りもした。

 

・そのあと私が行きたがっていたお茶屋さんに連れて行ってもらい、お昼ごはんを食べ、早めだが私のコンディション的にそれが安全そうだろうということで、でっかい水をたくさんながめながら空港へ向かうことにした。空港近くのジャズカフェが評判良かったのでお茶にしたが、めっっっっちゃくちゃよかった。いいスピーカーから大音量でいい音楽きいてただぼーっとするの、最高。東京にも同じような過ごし方ができるお店を知っているけど、そこは………。もうしばらくは足が向きそうにない。

 

・で、空港にちょっとはやくついてしまいとにかくダラダラぼーっとしていた。これはこれで悪くない。焦らないし。

 

・帰りの飛行機は夜だったので景色はあんまり見えないだろうと、持ってきた文庫本を開いた。年表まで読み終えて閉じた瞬間に、着陸のベルトサインがついた。友だちと、すごいタイミングだと面白がった。

読んだのはヘミングウェイ老人と海」。ヘミングウェイの命日は私の誕生日。教材として英語でちょっとだけ読んだことはあったしあらすじは知っていたが、刺さらなくて全部読んだことはなかった。今回は日本語で新しい訳で読んだのもあるだろうがするする読めた。今読んでよかったなあと思った。わたしは老人。大魚と何日も延々駆け引きをして、ようやく勝負を決したと思ったら、思わぬ横槍にまたもや苦労させられて、持ち帰れたのはあれっぽっち。老人のために、老人には見せず泣いてくれるマノーリン。それが老人のまことの慰めにはならぬとも。老人がまた漁に出るなら、それはマノーリンの存在がもたらす救いも大きいはずだ。

 

・そんで帰ってきて翌日、オタク垢の方で何げない幻覚ツイートが謎におバズり申し上げた。(推しのピクミン配信が嬉しかっただけなんだ……。)しかし、早めにリプライ閉じたのもあるけど、いまだにじわじわ伸びているのにヤバいリプとか引用とかが見える範囲になくてすごい。私の推し、優しく愛されてるなあ……。ていうかTwitter終わったんじゃなかったのかよ。

待ってくれ?まさかあちこちで祈願してきた「縁結び」のご利益、これだったりいたしませんか?まあ、それならそれでもいいか、私の推しが"いいよね"ってたくさんの人とわかち合えるのはものすごく得難い幸福であるとも言えるし………。

 

・と、いう感じで、先週末は友だちのおかげでしっかり心の明るい方を稼働させることができた。これは本当に大事。その後数日の仕事の終わり具合と蓄積された疲労(ずっと見て見ぬ振りをしていたので旅行とか関係ない)でだいぶ死線が濃くなったので、ここからはしばらくいのちだいじに、ある程度ジメジメもしつつ生き延びます。何はともあれ、時間は必要だ。両足の怪我はまだキズパワーパッドをぐんぐん膨らませている。これがきれいになる頃には、一人でゆっくり温泉でも行こうかな。

あの子はヘラクレス

 

・目覚めてからものの数十分で地獄に急速落下した。だからずっとエレベーターとか嫌いだって言ってるのに。でもずっと覚悟していた。私はどうやって反応するのかな、と毎晩考えては、頭の中の私が怒ったり泣いたりして眠れなくなって考えるのをやめて推しの動画を見て逃げたりしていた。そのまま無理矢理眠るので、ろくな夢は見なかった。悪夢のまま、悪態を叫んで起きる日が続いた。訪れるのは今日あすか、来週末か、それもなければ、私から、と思っていた。頭をかけめぐったいろんな未来や過去はほんの2分くらいで過ぎ去って、痺れる脳と手足を無理矢理動かしてハサミを入れた。ああ、勇気を出して結び直した糸はやっぱり無駄だった。両手がハサミでは、うまく結べようもなかったのだ。わたしは蟹座。どうかそのまま踏みつぶして天にあげて。

 

・このままミイラになるのは嫌だったので外に出て、「開き直った私が取りそうな行動」をとった。頭痛の限界とともに帰宅して、空っぽの胃にロキソニンを流し込んだ。

 

・いろいろ心配してくれていた友人らがそれぞれの優しさを惜しげもなくかたむけてくれて、それを浴びてわずかに気力が戻る。わたしは彼ら彼女らが大好きで、彼ら彼女らもわたしを大好きだった。それだけで食事をとる理由になるし、私が私の身体を傷つけたりしようとしない理由のひとつでもある。わたしを好きなひとたち、いつもいろんな色の光で照らしてくれてありがとう。私はこれを忘れない。いつかそれで苦しんだとしても、忘れない。

 

・すこし落ち着いて湯船に浸かって、いつも通りYouTubeのおすすめミックスプレイリストを適当にタップして、しばらくしてから流れてきたこの曲に胸を鷲掴みにされた。わたしは最近にじさんじの何人かにゆるくハマっており、彼らのオリジナル曲や歌みたもいいものが多くて好きなので、さらに刺さった。このタイミングで流れてきてくれてありがとう。インターネットのボトルメール

https://youtu.be/HuUe34mOGjA

濃くて重くて大きくて揺れやすい私の感情はすぐに私の道を塞ぎ、私の頭上に黒い嵐を招いてはいつまでも離れずに、私を弱らせることがある。だとしても、たった数分の音楽にこういう救われ方ができるのも、その感情の大鍋のおかげだと思う。悲しみにたやすく塗りつぶされてしまう光でも、そのひとすくいに光があったことは消えない。その光は、誰にも奪われない。心を何度砕かれてもむきだしの膝をついても起き上がれない朝が来てもすべて許せないと思うような夜があっても。その光はわたしの中にある。

 

・しばらくちょっとダメです。ずーっとヤバいままの仕事をこなして時をうしろに流しながら、実況者の推しを推すことをお薬にします。あとたまに、めちゃくちゃ歌う。

 

・来週の日曜日は誕生日です!もし覚えていて、気が向いたら、声でもかけてくださいね。

わたしの牡鹿

あしたはとある施設の近隣住民向け内覧会(一住所につき1人+付き添い1名で祖母にご指名いただいた)(それがあること自体は周知であるものの正式オープンまでは具体的な情報を出すべきでなかろうと一応伏せていますが、普段の言動を見てくれている方にはバレバレでしょう、そんな方がいればの話ですが)なのですが、なにせ先週急に言われ……というのも自治体から祖母宅に案内が来たの自体が10日前なので、そこから祖母が母に「(私)が好きだったわよね?」と連絡、母から私に即電で「一族の中でいちばんこれのオタクなのはあんただろうからって(意訳)」予定が空いているか確認(母から突然電話がくると大抵家族の誰かが倒れているのでかなり身構えた)、美容院の予約をとりそびれたのと最近冴えてなさすぎて他の予定を入れる気力もなかったせいでノープランだった私は「行きます」と即答、そして前夜の今、という流れで、平日も相変わらず仕事がしっちゃかめっちゃかな中、4作目までは最近ちょうど見返せていた映画の残りの4作を湯船やベッドや休憩室で大急ぎで復習したというわけであるのでした。さらに今日、昨年あたりに公開されたばかりの周年記念番組まで履修して万全の体制を整えました。貪欲。

ずっとファンだったし原作は3〜最終作まで発売日に買って、小学生の頃なんかクラスのお受験組イキリ男子に発売翌日「お前何章まで読んだ!?…負けた…!」などと謎の不毛な戦いをけしかけられオートで勝利したりしていて(こいつは塾通いかつ消灯時間を決められている教育重点家庭の子供だったので、習い事は小5から週1のECCしかやっていない荒れ気味家庭の私と根本から可処分時間が違ったはずだ、かわいそうに)、近年はこの作品のオタクを自称していたものの、実は最後のほうの映画は未視聴だったことがずっと気がかりだったのでいいきっかけになった。気がかりだったのになんで観ないの?映像で観るグロシーンが苦手なんですよ。漫画とか小説は先のページまで急いで読めばいいし最悪は前後の描写で汲み取れるけど、映像は逃げられないし基本映像でしか描写されないから。

ただ、まあ、公開当時に観なかったのは別の理由がある。それぞれ公開年のあたりに私の家庭がどうだったか知っている人にはなんとなくわかるだろう。まだ幼かった。1人で観ちゃえとまで振り切れはしなかった。まだ穏やかだった頃(姉はもう荒れ始めていたが)、少なくとも両親とは、一緒に映画館に行って観る数少ない作品だったのだ。それを1人で観に行って、自分から突き離すみたいなことをするのはなんだか違う気がした。そんなナイーブな人々ではなかったので、本当に余計な気遣いだったのだろうけれど。……いやわからない、あの頃の我が家は全員終わっていたので、実際そんなことをしたら、ほかの些細なことでそうされたように、当てつけだ薄情だ可愛げがないと手酷く詰られたかもしれない。(完全な自室のない私が彼らの怒声罵声を聞きたくなくて毎日ヘッドホンをして過ごしていたらある日当時はいちばん穏やかだと思っていた父親に「あてつけているのか」「拒絶されているようだ」と怒鳴られたことがある。後半は当たっているのだが、まあ、それでも大人が13や14のこどもに投げつけるべき言葉ではない)

さておき。そういう暗く忌々しい記憶は老いた彼らの中ではだいぶ薄れているので、無邪気に「娘が特に好きなもの」として認識してこういう話を回してくれたのはありがたい。本当に。好きなものは好きだと、うるさいくらい周りに言っておくのがいい。私がもし、本心にかかわらず、「もうそんなのあんまり好きじゃない」という態度でいたなら、この話自体知らされなかったかもしれない。好きだ、大事だと表明していないものは、いつ離れて行ってもおかしくないし、離れて行ったことにも気付かない。気づかなければ、ダメージもないのだろうが。でもやっぱり、天使が前髪を向けてくれるチャンスは多い方がいい。掴む勢いだけなら誰にも負けない。

私が好きだと言い続けているから、ふと見かけた時、手に入れた時に私を思い出したり私に知らせようと思うものがあるひとよ、ありがとう。これは私にも杖なしで使える、数少ない魔法なのだった。

相手がわずかにでも私を愛していなければ、効かない魔法だ。

ブランコだいきらい

・小さい頃からブランコが嫌い。頭が、おなかが、せなかが、どっちつかずでわんわんする。長すぎるエレベーターも嫌い。足が地面についているのにふわふわして怖い。飛行機がたまにフワッとするのも同じ理由で怖い。ブランコやエレベーターみたいな"状態"も大嫌い。これは最近自覚した。心の三半規管も弱い。

 

・おしゃべりがじょうずですよね、と言われた。あんまり綺麗ではない社会に生きてきたので一瞬え?急にわるくち?と思ったが、相手と文脈からしてそうでないことはすぐにわかったので、「えっ!じょうず、とは…?」と続きを促した。たぶん褒めようとしてくれていたから。そのひとは少し考えてから、「人前で何か発言とか発表しなきゃいけないときに、落ち着いているというか、緊張してないですよね?自分はそういうの苦手だから羨ましいなって…」と続けた。

ああこれ百万回言われたなーと思ったが、百万回言われてもけっこう嬉しいもんだなーと思った。あと、これを言うのにこんなにことばを探してくれたんだ〜と思うと、愛おしかった。かわいいひとだな。

「ありがとうございます!でもそれなりに緊張はしてますよ〜!」と五十万回くらい言ったことのある返事をした。相手によって、「緊張している」と「緊張はしない」の返事を半々くらいで使い分けている。してるときとしてないときがあるので、別にどちらも嘘ではないし、どちらも真実ではない。私はこの人と仲良くなりたくないからそうしているわけではなくて、むしろ仲良くなれたら面白そうだなーと思ってすらいる。このひとは「緊張しない」と返したら私を奇異なものとして見るだろう。奇異なものに近付きたがるタイプでもなさそうだ。だから、そちらを選ばなかった。まあ、百万回全部にそこまで考えてはいない。私の舌は最初から二枚ある。

この人に褒められたのは嬉しいが、だからといってやたらと前に出たい訳ではないので、体よくそういう仕事を押し付けられまくる前にもうちょっとイヤイヤやってる感じ出さないとなあと思った。これも三十万回くらい思ったし、成功したことはない。生きるのがヘタクソ。

最初に悪口か!?と身構えちゃったのが相手に悪いなあと思いつつもおかしかったので記録。嫌な世界で生きてきたね。ここはおおむね大丈夫だよ。

 

・歯を食いしばらないよう気をつけているのに、それを上回る量の"嫌"が詰めかけてきて追いつかない。数日続くひどい頭痛にロキソニンが効かない。生理痛には効果半減くらいで効いたのに。食べても食べなくても胃が痛いので食べていたら今度は吐き気が増えた。瞼の痙攣がおさまらない。夜になるとじんましんが出る。いつもどおり、悪夢を見ずには眠れない。からだを休めろよのサインがからだを休めるのを阻害してくる。これがけっこうやばいのは私もよく知っていて、あー……。と思いながら転がる石を見ている。楽しみな予定はある。そのあいだを綱渡りしながらでもいい、生きるのだ。石は水底に落ちたってしばらくは石だ。

 

・いまだに、女が1人で生きているだけでまるで悪い魔女扱いだなと思うことがある。実際の魔女狩りもそういう理由で何人も裁判にかけられたんだっけ。でかいおできがあるだけで魔女呼ばわりされた人もいたと聞いた気がする。なんだかそれを最近よく思い出す。人間はどんな理由でもどこまででも残酷になれる。相手に心があって体があって苦しみや悲しみや葛藤があると考えもせずに。ふざけるなよ。この身に幾つ穴が開いたって、お前もお前もお前もお前も、呪ってやるからな。お望み通り魔女になって。

なんてね。すぐに忘れるよ。忘れたことすらも。知らないところで勝手に破滅してね。

 

・推しのキャンプ動画観てニコニコしてるから大丈夫だよ。ロールパンナちゃんでいう青い方のハートがでしゃばりがちなだけで。ロールパンナちゃんってキャラ造形ヤバすぎないか?こころがふたつあり、善性戦うヒロインの姉(でもロールパンナちゃんのほうがあとにジャムおじに作られた…)であり、敵。それでいて妹のピンチには自らの心をねじ伏せてでも駆けつける。カッコ良すぎる………。アンパンマンでイチオシのキャラクターは幼児の頃からホラーマンとロールパンナちゃんです。なるべくしてなったな。こういう大人に。

くるみ割り人形

・食いしばりしすぎて歯に薄く縦ヒビが入っているらしい。4本。4本!?

昔から気を抜くと身体が勝手に緊張状態になりがちで(つまり気を抜けていないのだが)、肩が上がりがちだったり爪先が床に垂直についていたりする。いちばんひどいのが噛み癖。食いしばり、なんかどっか自分の体を噛んでる、などなど。どれも大人になってそれぞれ薄〜く、噛み癖にいたっては完全に無くなってきたと思っていた(本当に月経痛がヤバくて行き場のない怒りと痛みで気が狂いそうなときだけ腕の内側噛んで耐えたりしてる。絶対タオルとかの方がいいけど頭が回らない。)が、食いしばりだけは人からあんまりわからないので指摘されてハッとすることも少なく、ここまできてしまった。自然にしてくださいね〜って言われて正面向いてすまし顔するじゃないですか。その時歯が噛み合わさってちゃダメなんだって。マジで?…ほら今も奥歯ががっちり。

意識してみてよくならなかったら寝てる間用のマウスピース作った方がいいですね〜って言われてしまったので意識を頑張っている。意識すると、寝ても起きてもめちゃくちゃ歯を噛み締めていることに気づく。意識し疲れた……。奥歯に毒なんか仕込もうもんなら瞬く間にあの世である。スパイじゃなくてよかった。

なんで噛み締めちゃうの?と言われても、たぶん、苦痛が和らぐから……としか言えない。癖だし。意識してみる前からああ食いしばってるなと気付いていたタイミングは、身体のどこかが痛い時、仕事でなんか面倒な構造の英文を分解して修正する必要がある時、笑いたくないのに笑顔をキープしてる時、悲しいことを思い出して呑まれないように心の波が凪ぐのを待っている時、眠れないでいる時。要は、耐えている時だ。歯ぁ食いしばって耐えな!みたいなやつは、殴られて舌を噛まないようにというだけではなかったようだ。歯を食いしばらないとこの世を耐えられないような強度で29年近くよく生きてきたもんだよな。

マウスピースすりゃあいいじゃんと思うかもしれないが、ただでさえ慢性的に不眠なのに悪化しそうで嫌なのと、寝れたとして口を開ける方にシフトしたらこんどは腫れやすい扁桃腺がやられて高熱エンドが目に見えている。嫌だ。

だから常に自決用の毒を仕込んでいるような気持ちで食いしばりを我慢しなければならない。こういう心持ちがもう食いしばりのモトな気はしている。食いしばってりゃすすり泣いてもそんなに声は漏れないんだよ。こうやって生きてきたんだもんなあ。でも親知らず4本抜いて(来月ついに最後の1本を抜くのだ)、そんであと4本歯軋りでダメにしたらもうぐちゃぐちゃだよ。まだ20代だぞ。歯磨きは褒められるのに。あーあ。

 

・あーあ、なのである。気分が。

週末友人らと会って遊んで(メリーゴーラウンドに乗ったりしたレベルの"遊び"だ)、しっかり発散したと思ってもこれである。ホルモン的に仕方ないところはあるが。あと気候もね。友人らはマジで私を浮世につなぎ止める楔なのでありがてえなあ。浮世つらいけどきみたちがいるならビームで滅ぼさないでおいてあげる。

 

・ここには、というか、残るかたちではとうていどこにも書けないような、聞き手を選んでもいつまでも話せないような、そんな鬱屈が渦巻いてまた奥歯が疼く。贅沢な悩み、単純な解決策、お前が勇気を出すだけ、甘えるな、やってみないとわからない、もう見切りをつけろ、若いんだから、いい歳をして、エトセトラエトセトラ。まだ言われてもいない、でも別のさまざまな局面で散々外野に言われてきた言葉がわたしの喉を食い破り舌を食いちぎる。何も言えなくなる。

何も言わなければ、誰も何も知らない。

私はテレパシーを送ることも受けることもできない。私の都合など誰も知らない、私も、言われていない都合などひとつも慮れない。明るくなってみたり暗くなってみたり、古ぼけた電球と同じくらい鬱陶しい。

いっそ、割ってしまおうか。ガラスの後始末なら慣れているし。慣れているだけで、やりたくてやったことなんか一度もないけど。

 

・あーほらまた歯がくっついていますよ。マウスピースに五千円かけるならアサコイワヤナギのたっっけえパフェが食べたいよ!!!あたしゃ!!!!!!!

 

・あしたは桜もまだ咲かないくらいのころの気温になるらしい。嫌になっちゃうね。

蟻地獄

・むしゃくしゃしているときにすること。マックのポテトを食べる(美味しく感じないときはかなりダメなときなのでバロメータにもなる)。気になってた漫画をKindleで買って一気読みする(あんまり後悔したことない。外れても食事と同じでいつかわたしになる)。散歩に行く(いちばん気楽だがいちばん気合がいる。天候とか化粧とか服装とか考えるのもしんどいときは向いてない)。ヒトカラに行く(受付まで行けたらいちばんコスパがいい。カロリーもちょっと消費するし感情の詰まりを流せる)。寝る(難度が一番高い。寝たい時に寝れる体質ならこんな性格になってない)。あと、時間とお金を掛けてもやったるわい!と思うのなら、一人旅(無駄にはならないが身体の疲れはむしろ増すし精神が赤点滅のときは楽しめたとしても負担なので逆効果)。などなど。

今回はマックと漫画とヒトカラ

ヒトカラは3時間が喉の限界。ガラガラになるまで歌ってはいないが、歌いたいような声が出せなくなる。いっちょまえなこと言いやがってますね。ヒトカラは自己満の代名詞みたいなもんだからいいんだよ。自己を満足させるために金払ってんだからさ。流行りの曲を入れてみてヘタクソすぎて笑っちゃったりする。1人なのであんまり恥ずかしくないのは助かる。行くたびに少しずつ練習するとちょっと歌えるようになるのも面白い。一日中声出してるような仕事から、丸一日文字でしか人とやりとりしない日さえある、オフィスは静まり返って小声で話さないと目立つような仕事に変わって3年経つと、明らかに声の出しかたが変わる。加齢もあるだろうが。歌えなかった曲が歌いやすくなったり、その逆もある。これを思うとプロは20年前の曲を去年の曲のあとに歌ってもCDより上手かったりするんだから本当にすごいよなと思う。私の推しは歌が上手い。そうして、いつも会計の安さにビビりながら古びたカラオケを後にして、歌いたい曲がなかったから今度は機種指定しようと思ったりしながらてくてく帰る。だいたい次行く時には忘れてる。

 

・喜怒哀楽の円グラフで心ができているわけではないことを、中学生くらいのときには思い知っていたはずなのに、30手前になってもうまいこと応用できないでいる。99幸せでも、1嫌なことがあって、それが私にとって無視できないものなら小石でも爆弾でも変わらない。長い初恋がひとまず実った夜と姉が私をダシにして屋上から飛び降りかけた夜とが続いていた14の夏を思えば事態はもっと単純なのに、倍以上生きてもうまくはやれないものだな。

つまり?楽しみな予定や嬉しいことがあって、それらが本当に心の底から楽しみで嬉しくても、いや死にてえ〜〜けど???みたいな期間はあるわけです。百万回言うが私は絶対自死しないのでそこは安心してほしい。好き勝手言うだろう奴らが生きてるうちは絶対に死んでやらないし幸せそうに生きてやる。口のない死人になんか、なってやるものか。それた。死ぬ気はないけど、死にてえ気分というのは存在するんですよ。というおはなし。

もっと詳細に言ってみると、生命の状態はおいといて、胸にうずもれたでかくてかえしのついた鉛を掻き出して粉々にしたい、みたいな。まあ、楽になりたいということだ。楽になりたいとか死にたいとかいう響きでは伝わらないが、圧縮するとそうなってしまう。そういう出力しかできない状態が「限界」というものなのだ。死にたい死にたい言って死なない人いっぱいいるでしょ。本当の意味で言ってるのにできない人もいるだろうけど、こっちの人もいっぱいいるだろうと思う。自分でわかってない人もいるな。そのまま「成功」してしまった人もいるだろう。わたしの足元には、かれらの沈んでいった泉がいつも広がっている。女神は現れない。金や銀のわたしには、なれない。

 

・でも何百回もこれをやってるのでまあ、平気な顔して仕事するくらいはできてしまうんだよな。過剰適応って十分に病だったはずなのであんまよくないんだけど、社会、とくにわたしの属するごく狭い社会にとってごく短い未来までのあいだは、これが正解なのでだーれも気付かない。まず仕事の量落ち着かねえかな。たぶんこの状態仕事にヒイヒイ言ってる場合じゃないのに平日マジで仕事しかできないんだけど。バッタバッタと人が辞めたり倒れたりしているんだよ、こんなにホワイトなのに……(ぐるぐる目)。もともときれいな水に棲んでたらそろそろキツいんだろうな。おれは割と汚ねえ沼からきたからまだなんとか鰓呼吸できるよ。それだけだが。

 

・Q.この記事なに?

A.人生にむしゃくしゃしています!!!!!!!!!!!!!!!どいつもこいつもなめやがってよ!!!!!!!!!!!!ほんでここはわたしの井戸です!!!!!!!!!王様の耳はロバの耳!!!!!!!!!!!!!!!全員燃やす!!!!!!!!!!!!!!王様の耳は!!!!!!!!!!!!!!ロバの耳!!!!!!!!!!!!!!!のど飴舐めよ。

 

・選ばれたって次は選ばれ続けるプレッシャーがあるとか選ばれたい以外の人間にどうしようもなく選ばれて痛い目何度も見ただろうとかよりによってわたしがそれに夢を見れるの正気かよとかそんなことは全部わかってんだけど、わたしもまっとうに「いちばん」に選ばれたかったよなあと思うときがある。シュガーの甘さなど知らなければ棚の上の砂糖壺に焦がれて踏み台から落ちることもなかったのにね。ぺしゃんこ。

 

・コンティニュー。

それしかボタンはないのだから。

あした、わたしは

あした、宝石みたいなお菓子が届く。

毎週金曜朝8時からオンラインで1人二箱まで受付、だいたい10分後には売り切れている。Twitterで一目惚れしてすぐに注文画面をブックマークしてから、二ヶ月くらい負け続けていた。出社の日は微妙に移動の時間と合わず、在宅の日は間に合うように起きて仕事を始めていたらひっきりなしのチャットに埋もれて時間を逃し、有休の朝は思いっきり寝坊した。どうしても、というほどではないが、いつかは、というくらいには欲しかった。食べたいというよりは、欲しい、だった。美しいもの、とりわけ、宝石や、花や、リボン、ものによっては絵画。きらきらふわふわ、鮮やかなものって、ぱくりと美味しく食べられたら最高だよなと思いませんか?わたしは思う。そういう魔物だから。

で、くだんのお菓子の注文に、ようやく先週成功したわけなのである。二箱注文した。それがあす来る。

ひとつは、3月が誕生日なのにずっと会いに行けていない、最近老老介護でしおれてきた祖母のために。(先日、大好きな先輩がマリアージュフレールの店舗に連れて行ってくれたときに、ハッピーティーとラッキーティーというゴキゲンなお茶も買ってある。プレゼントはいくら盛ってもいい。)

のこりひとつはどうしようかな…と一週間考えていた。期限は30日。人を誘うにはじゅうぶんな期間。内容量は9個。2人がせいぜい、3人だと場所を用意するコストに対して話の種には弱いかもしれない。あとは、フレーバーが全部違う。全部知りたい。知りたいんだよなあ…………。うん、なら、ひとりじめしてしまえばいいじゃないか?美味しくて、やっぱりひとに食べさせたいと強く思ったら、また金曜の朝に毎週粘ればいい。季節で変わるらしいし………。

こういうときに、せっかくなのにひとりかあ、と後ろ髪引かれるでもなく、よっしゃあひとりじめしちゃおう!とウキウキしてしまうから他人と生きるのに向いていないのだろうか。関係ないか。関係ないな。こういう鬱屈が何ヶ月も凝り固まって頭の上の雲が消えない。

美しいものや美味しいもので気を紛らわせればとりあえずは普段通り生きていけるので、そうしている。普段やらないことをやったらどうだろうかと、雲を振り切ろうとして放置していたリングフィットを一週間つよめに続けてみたが、案の定腕を痛めた。やっぱり向いてない。楽しいは楽しいので治ったらまたやるけど。

 

あした、わたしは美味しいお茶を淹れる。一通り写真を撮ったあと、お皿に並べた宝石を、一粒ずつ手にとってじっくり眺める。うずうずしてきたら、抗わず口に放り込む。美しいガラス細工を模した琥珀糖を舌で少し遊び、歯をたてる。中に入った少しのお酒が流れ出す。味や香りや食感を存分にたのしんで、飲みくだす。お茶を飲む。それを、9回繰り返す。はらのなかに宝石の破片がユラユラと積もる様を想像して、満足する。それは溶けて向こう何日何ヶ月かのあいだ、わたしの体になるだろう。わたしが躍起になって落とそうとする贅肉にすらなるかもしれない。構わない。

あした、わたしは宝石を食べる。