いもいもなにいも

おいものなんでもない日

あした、わたしは

あした、宝石みたいなお菓子が届く。

毎週金曜朝8時からオンラインで1人二箱まで受付、だいたい10分後には売り切れている。Twitterで一目惚れしてすぐに注文画面をブックマークしてから、二ヶ月くらい負け続けていた。出社の日は微妙に移動の時間と合わず、在宅の日は間に合うように起きて仕事を始めていたらひっきりなしのチャットに埋もれて時間を逃し、有休の朝は思いっきり寝坊した。どうしても、というほどではないが、いつかは、というくらいには欲しかった。食べたいというよりは、欲しい、だった。美しいもの、とりわけ、宝石や、花や、リボン、ものによっては絵画。きらきらふわふわ、鮮やかなものって、ぱくりと美味しく食べられたら最高だよなと思いませんか?わたしは思う。そういう魔物だから。

で、くだんのお菓子の注文に、ようやく先週成功したわけなのである。二箱注文した。それがあす来る。

ひとつは、3月が誕生日なのにずっと会いに行けていない、最近老老介護でしおれてきた祖母のために。(先日、大好きな先輩がマリアージュフレールの店舗に連れて行ってくれたときに、ハッピーティーとラッキーティーというゴキゲンなお茶も買ってある。プレゼントはいくら盛ってもいい。)

のこりひとつはどうしようかな…と一週間考えていた。期限は30日。人を誘うにはじゅうぶんな期間。内容量は9個。2人がせいぜい、3人だと場所を用意するコストに対して話の種には弱いかもしれない。あとは、フレーバーが全部違う。全部知りたい。知りたいんだよなあ…………。うん、なら、ひとりじめしてしまえばいいじゃないか?美味しくて、やっぱりひとに食べさせたいと強く思ったら、また金曜の朝に毎週粘ればいい。季節で変わるらしいし………。

こういうときに、せっかくなのにひとりかあ、と後ろ髪引かれるでもなく、よっしゃあひとりじめしちゃおう!とウキウキしてしまうから他人と生きるのに向いていないのだろうか。関係ないか。関係ないな。こういう鬱屈が何ヶ月も凝り固まって頭の上の雲が消えない。

美しいものや美味しいもので気を紛らわせればとりあえずは普段通り生きていけるので、そうしている。普段やらないことをやったらどうだろうかと、雲を振り切ろうとして放置していたリングフィットを一週間つよめに続けてみたが、案の定腕を痛めた。やっぱり向いてない。楽しいは楽しいので治ったらまたやるけど。

 

あした、わたしは美味しいお茶を淹れる。一通り写真を撮ったあと、お皿に並べた宝石を、一粒ずつ手にとってじっくり眺める。うずうずしてきたら、抗わず口に放り込む。美しいガラス細工を模した琥珀糖を舌で少し遊び、歯をたてる。中に入った少しのお酒が流れ出す。味や香りや食感を存分にたのしんで、飲みくだす。お茶を飲む。それを、9回繰り返す。はらのなかに宝石の破片がユラユラと積もる様を想像して、満足する。それは溶けて向こう何日何ヶ月かのあいだ、わたしの体になるだろう。わたしが躍起になって落とそうとする贅肉にすらなるかもしれない。構わない。

あした、わたしは宝石を食べる。