いもいもなにいも

おいものなんでもない日

身勝手と後ろ髪

 

美容院で髪を染め直したあと、めちゃくちゃかわいい巻き髪にしてもらえたし、まだ日も高かったし、ひさびさに天気もいいし、直帰するのもなとどこかへ寄ることにした。実家が近いが、今回は親族と会話できる感じのコンディションでもなかった。朝から気圧由来っぽいじんわりとした頭痛がとれずにいたから。

なかなかこちらに来る用事もなくなってしまったし、と、実家を通り越して祖父の墓参りに行くことにした。どこかに行きたくてどこにも定められない時、昔からよく通った。誰にも言わずに。なんの意味もなくただ神社やお寺に行くのと同じように、祖母の家にある仏壇の「本体」におしゃべりしにいく程度の感覚でいたけれど、周りの大人に言えば意味もなく行くなんてやめなさいと言われそうだったからだ。まあ、いくら自然が多い場所とはいえ、子どもが好き好んで霊園に通うのを健全だとはわたしも思わない。今の部屋に引っ越してからは流行病のこともあり、単にすごく遠ざかったのもあり、なかなか行けていないが。

久しぶりに訪れた墓前は荒れ果てていた。

祖母は何年か前に免許を返納して、彼女をよく気にかける伯父もここ何年か体調を崩しがちでいる。その弟であるわたしの父親は、来ようとしないのか母の手前来づらいのか、私がたまに帰省(という距離でもないが、心理的に)したときに「行きたい」と言わない限りは参りに来ないようだった。

祖母は、むかし父の不倫が発覚したときに父の肩を持った。それから、それに猛反発したわたしの姉とは絶縁、母とはもちろん没交渉、父だけがたまに顔を見せに通っている。私もたまに、そんな父とともに会いに行く。

鍵っ子だった小学生のころは週に何度か放課後預けられていて、わたしにお菓子作りや植物の名前、最低限の裁縫(これは上手くならなかったが)など今から思うと魔女入門みたいなあれこれを教えた彼女、のもとにあまり行かなくなったのは忙しくなったり姉が壊れ始めた、中学に上がった頃だ。思えばそのあたりから色々なことが狂い、数年かけてきちんと破綻した。彼女を結婚式にも呼ばなかった姉とは違い(わたしも許しきれはしないが)、私とはまだ最低限の交流はある。祖母はまだ10歳になるかならないかくらいのわたしに向かって「孫より腹を痛めて産んだ息子の方が大事に決まってるじゃないの」と悪気なく言ってのける苛烈で正直な女だったし、それを貫いただけだろう。自分の立場とか相手の気持ちとか考えるたおやかさはない。し、罪を犯したのは彼女ではない。祖母は祖母なりに、姉よりも頻繁に彼女と過ごしたわたしを情に抗いきれず愛しているのも知っている(そのわかりやすいひいきも姉には不満だったろう)。私にとっては、騒動の真っ只中具体的に何をするでもなく偽善的なメールしか寄越さなかった(彼女なりの心配だったろうが、彼女の立場ならほかにやれることもすべきこともあったと今なお思うので悪意を含む。が、これも血縁ゆえの甘えかもしれない)姉よりもよほど筋が通っていてやりやすい。

……そんなことを思い返すたびに胸に渦巻く感情のような、どうしようもなくわびしい、汚らしい、悲しくさえある墓前のありさまをどうしようか数秒立ち尽くして、香水につられてよってきた蜂の羽音で我にかえった。軍手も何も持っていないし手足はむき出しの七分丈な自分にこのぼうぼうの雑草を抜いたり墓石を磨いたりできようもあるまい、冬場に装備を整えて来ようと思い直して、いつも通りバケツに汲んだ水で墓石類をよく流し、腐って虫がわいている仏花(数週間のうちには誰かが来たのだろう)を捨て、数枚の石畳と数段の階段を掃いて手を合わせた。一人で来る時は花を供えない。新しい花があることで誰かにバレたら面倒だし、その花がまた腐った頃に掃除しに来る人もいないので。なかなか来れなくてごめんねとか、ざっとした近況とかを、届いているのかもわからない祖父に念じて立ち上がる。一応の完治から数ヶ月経った捻挫のあとがちょっと痛んだ。長くしゃがみすぎた。妻も息子たちも健在ながらこの有様では、遠くない未来、この墓石を管理していくのはいよいよ私になるだろう。少しずつ知識をつけなければな、どうやって?……と思いながら緑多く明るい霊園をあとにした。朝は小雨が降っていたのに、わずかに汗ばむくらいの陽気だった。

 

気晴らしにケーキが食べたい、と思った。こういうときは甘いもの。昔住んでいた、住めなくなった家のすぐ近くのお気に入りのケーキ屋は2階にカフェスペースがある。今の家からは遠くてなかなか来れないが、ここからなら近い。

住んでいた頃と見違えるように開発された駅前を通り過ぎて路地を一本入る。見慣れたお店がたくさんと、入れ替わったお店がいくつかあった。4年くらいしか住んでいない町なのに、生まれ育った町よりも安心する。いつかまたここに住めたらと思うくらいに。酷い目に遭うのはどこにいたって防げやしないので関係ない。

お目当てのケーキ屋さんはちょうどおやつ時なのもあって少し混雑しており、一人で座れる席は2箇所しか設定してないと言われた。昔はどこでもご自由に、のスタイルだったが、人気にスペースが追いつかないらしい。美味しいので口コミで人気がどんどん出るのも当然なのだが、週末に一人で寄りたくなったら注意しないとなと思った。人とお茶をしたい時と、一人でケーキを食べたい時とは別の欲求がはたらいている。

相変わらず美味しいいちじくのショートケーキと、最近甘いものとなら美味しく飲めるようになったアイスコーヒーとをいただいて、数十分前までの、面倒な宿題を持ち歩いているような気分はいくらか晴れた。髪はかわいいし、ケーキは美味しいし、足りないものなんてないさ。今は。

昼食代わりのケーキとコーヒーだったので、帰りの電車でしっかり胃もたれして、長い乗車中に読もうとしていた文庫本にはまるで手がつけられなかった。

帰宅して鏡を見たらもう、巻いてもらった髪のカールはとれていた。5時を報せるメロディーが聴こえた。腐った菊を拾い上げたときのぬるりとした感触がまだ指に残るようで、いつもより長く手を洗った。