いもいもなにいも

おいものなんでもない日

呼び声は反響

 

水。水が見たい。水はなるべく青く澄んで、たくさんあるといい。海だ。海を見にいかなければ。そうでもなければ、あとたった一週間ぽっちを乗り切れる気がしない。

 

出勤するたびに職場の人間たちの理解を超えたデリカシーのなさとか単純な業務量の多さとかこの期に及んで「最後の大仕事ね」と口々に投げられる別に誰がやってもいい面倒なだけの仕事とか、とにかくそういう救いようのないもののせいで怒りの最高風速を更新して、元々怒るのが本当に得意ではないせいもあって完全に脳がバグを起こしていた。深夜まで一人残業して帰宅してはしばらく玄関に座り込む。なんとか立ち上がって寝支度を済ませ、可能な限り早く眠るために安酒をあおって無理やり目を閉じる。そのための酒はストロングゼロだったり、檸檬堂だったり、シードルだったりした。ーー海を、すぐに海を見にいかなければ。

 

あとちょっとなのに限界だ。

という自覚があったので、すぐにダメ元で人を誘った。真冬にただ海を見に行きたいという面白味も何もないコンセプトに、こころよく応じてくれた。私は疲れるとすぐきれいな水がある静かなところへ行きたがる。理由はよくわからない。生まれなおしたいのか?それはそれで地獄だと思うから、たぶん違うと思う。

 

というわけで葉山に行って来ました。限りなく正解に近い息継ぎができたと思う。死ぬ前に思い出す景色のうちの一つには必ず入る。今際のきわの走馬灯というものが本当にあるのなら。

 

どうにもならないときはちょっと遠くに行って美味しいもの、なるべく甘いものと温かい紅茶、を食べてきれいなものを見て、そしてできたらめちゃくちゃくだらないことで笑うのがいい。

 

これで一週間心穏やかに頑張れるかと言ったらそれは絶対ないと言い切れるほど劣悪な環境下ではあるのだが、それでもこれで一週間死なずに生き延びることはできる。できるぞ、という気持ちを持って臨むのとそうでないのとでは、やっぱり違いがあると思う。

 

目を閉じて、きらきらと輝きながら静かに寄せる波と、しゅわしゅわ、さらさら、と砂や貝が擦れて立てる音を思い出す。喉の奥の何かが溶けるような気持ちになる。今夜は眠れる。こどものように。