いもいもなにいも

おいものなんでもない日

風のにおいのみに春を知る

 

とにかく滅入って仕方がないので、ありとあらゆる気分転換や思考をする。

 

在宅勤務ができているということは、身の安全に加えて、ひとまず今月のお給料は満額出るし、会社も突然傾いたりはしないということだ。これは、おそらく前の職場あるいは他の場所にいたらどれも簡単には叶わなかったことなので、つくづく己の出会った偶然におののく。努力とか能力とかそういう話ではない。ここまでくると、単なる偶然だ。誰も必死の転職の際に「緊急事態宣言が発令されたときの対応」なんか指標にしない。少なくとも、これまではそうだっただろう。

だから、明日暮らすお金がないとか、会社の存続がどうなるかわからないとか、そういう状況の人たちのことを他人事として流すことができない。薄情なことを言えば、そうした方が精神衛生にはいいのは明らかだ。だけど。

私が今の職場のクリーンさに救われているという話をみて、「守られてる人はいいよね」と思われることがあるのもわかる。そういう感情があるのが人間だ。私だってこれまで、自分の持っていないものを持っている人の発言を素直に受け止められない場面が何度もあった。家の中で皿やビデオテープが飛び交う週末のない人たちはいいよね、家族と素直に仲のいい人たちはいいよね、家族が自殺未遂したことのない人はいいよね、信頼していた友人がストーカーと化したことのない人はいいよね、………今だってそうだ。どんなに私のことを理解してくれている人からでも、「家族なんだから仲良くしなよ」と言われると(理由になってないだろうが)と反発心がもたげる。大人なので、一生解けないと思っていた呪いが解けるかもしれないことも知っているけど。

話が逸れた。

そういう、見上げて口を尖らすようなこと全部、相手には責任どころか関係のないことだ。当人がこちらを見下ろして口を出してこない限りは。

ていうか体の強さも特性も人それぞれなんだから心だって同じだろう。私がつらいと思うことをあなたが大したことないと思おうがつらいのは私で、反対もそう。嬉しいこともそう。自分より恵まれているように見える人の嘆く口を塞ぎたいと思ったら、たぶんだいぶ疲れていて、弱音を吐いてしまいたいときだ。それなら人を見てくさくさするよりも、一回びゃーっと出してしまう方がいい。漠然とした怒りや妬みは快楽になり、癖になる。鬼になってからでは遅いのだ。

 

というわけでガンガン憂鬱吐き出すし人の憂鬱の邪魔もしませんよというはなし。

 

明け方、とんでもない時間に退勤している人からのLINEで目を覚まして、動揺しながらとりあえずゴミを捨てに外へ出た。ゴミ捨て場の横の公園は、ふつうに通勤していた数日前まで満開の桜が咲いていた。今日はもう葉桜になっていた。春の盛りを見逃した切なさと、それを代償に得ているひとまずの安全の天秤を思ってくらくらしながら振り返ると、日に透ける椿の花びらみたいな朝焼けが見えた。

こんな時間に帰っている人には恨めしく思えるだろうその光に少しおどろいた。久しぶりに、空を見た。私の部屋には空の見える窓がない。

ゴミ捨てひとつ、人とかち合わないようビクつきながら外に出なければならない日々が、いつまで続くのだろう。

なるべく多めに息を吸いこんで、吐いた。