いもいもなにいも

おいものなんでもない日

本棚で塞ぐ窓

何か書こうとして、あまりに個人的なことすぎてやめる、を何度も繰り返したらこんなに間が空いてしまった。もともと個人的なこと以外に何も書いてないというのもそうなのだが。

 

私生活にいい変化がなかったわけではない。6月のライブチケットは当たった(開催されるかも分からないけど)し、GWから推し実況者が毎日配信を始めて毎晩お祭り騒ぎだし、明日、内容はたいしたことないくせに地味なプレッシャーだけはある小さいプレゼン的なものを終えたらここしばらく肩に乗ってた重りは消えるし、あすけんとYouTubeのストレッチ動画のおかげで、(10日にいっぺんくらい好きなものを食べて飲酒するのでジワ…ジワ…とした減りだが)無理なく確実にダイエットもできている。

 

だけど息は詰まったままだ。

7月のカレンダーに連休があるのを見て、いつもみたいにウワ!すごい!という気持ちになれなかった。だってここに外からたくさん人を集めてオリンピックをやるらしくて、おそらく私たちは、その連休も「ステイホーム」なのだ。

もともとスポーツ観戦がぜんぜん得意じゃない(スポーツに限らず、ゲームや競技のルールを覚えるのが苦手)。だから見ない。ニュースで映るハイライトを見て、すごいねえよかったねえと思うだけのもの。

でも別に、害はなかった。今までは。

オリンピックが終わった後は日本に足を踏み入れることなどしばらくないだろうIOCの偉い人が「緊急事態宣言が出ていても日本で今年オリンピックをやります」と言ったニュースを見て全部嫌になった。しかも子どもを観客席にたくさん入れる、みたいなニュースも見た。

ねえそれ今やらなきゃだめ?

 

偉い人たちの事情がわかるわけではない。やらないと飛び降りるしかないほどに追い詰められている人はそりゃやると言い張るだろう。生き延びたいから。みんな生き延びたいはずなのに、どうしてこうなるんだろう。

私の頭で考えて名案が浮かぶような問題なら世界中がこんなに振り回されたりしないので悩むだけ無駄なのはそうかもしれないが、自分が感じた怒りだけは残しておかないといけないと思った。

開催されたとして、私はたぶんその映像をほとんど見ないだろう。応援され祝福されるべき人たちや、埋まった観客席を見て、よかったねとはきっと思えないから。

 

こういうどろどろとどうしようもない怒りや無力感を抱えつつも、週末に開けた場所を歩いたり、気を許せる人と他愛ない話をしたり、さっきも書いた推しの配信を見たり、そういう希望があるからなんとかだましだまし踏ん張れている。

逆に言えば、私はそれさえあればひとまず健康に生きてはいけるんだなと思う。それは貴重な気付きだったかもしれない。