いもいもなにいも

おいものなんでもない日

玄関の住人

金曜にバラを買って家に帰る。誰のためでなく。自分のために。スーパーの200円のバラだけど、ひと枝に4輪ついた薄橙の花と開きかけの蕾は美しく、台所で水切りをして手持ちの瓶に生け終える頃にはずいぶん私の心を癒した。

なんだかどうしても、バラが欲しくなったのだ。

あんまり綺麗だったので写真を撮ってSNSで自慢した。こどもっぽい。鼻を寄せて息を吸うと、青臭くてむっとした。香りが自慢の品種ではないようだ。

 

昔はそんなにバラを好きだと思っていなかった。気取っていて香りがきつい花とさえ思っていた。もともと好きな花は桜とか金木犀とかひまわりとか、部屋に飾るには向かない花ばかりだったし、街中のカルミアとか沈丁花とかレンギョウとかで微妙な季節を感じたりしていた。でも、きっかけとかは特になく、ここ何年かはバラの花を見ると嬉しくなるようになった。花の好みも味覚のように変わるものらしい。

本当はこのくらいの時期なら地元近くの植物園のバラがとても綺麗なのだけど、調べてみたら休園中だった。小さい頃、週1以上のペースで放課後預けられていた父方の祖母によく連れていってもらった。あの人は花が好きで、花を育てるのも飾るのも好きな人だ。気性はかなりバッサリしているが、そういうのは花が好きかと関係はない。私が人よりも少しだけ花の名前に詳しいのはこの人といる時間が長かったからだ。去年一度だけ顔を出した時も、寝室兼リビングにでっかい百合が飾られていた。どうやら私は隔世遺伝の強いたちらしいので、私もいつか寝室に花を飾るようになるのだろうかと思った。今は百合は香りが強すぎるしかたちもちょっと人っぽくて怖いなと思っているけど、これも変わるのだろう。

 

バラは玄関に飾った。今日お昼前に頭痛に唸りながら起き、玄関脇の冷蔵庫から水を取り出して飲むと、淡いオレンジ色が視界に入った。裸眼だからよく見えず、よく見たいなと近付いた。昨日蕾だったひとつがふわりと開いていた。花はいい。枯れてしまうけど、枯れるまではこうしてわずかに変化して生きていてくれる。

 

何が正しいとかこのままでいいとかよくないとか、相変わらずどうしようもないことを考える。直近だと2週間後のライブに本当に行っていいものかとか(キャパ5割、一時間前倒し開演だが…)、果てしないところだと、このまま一人で死ぬまで生きるのかとか、そのためにはあまりに準備が足りていないのではないかとか、かと言って他人と生きる素養があるのかとか、そもそも他人と生きたいのかとか。

自分で自分を反省室に閉じ込めるようになっているときでも、好きな花を飾るだけで自分に余裕があるような気がしてくるし、シンプルに和む。和むと、そんな部屋からはいつでも出てもいいことに気付く。今はとにかく生きているだけで全員えらいのだ。

あと何日かは、このバラと。