いもいもなにいも

おいものなんでもない日

おかまいなくまわる星

日が暮れてから窓を開けても手足が凍えなくなってきた。それぞれの季節のにおいが濃くなる時間帯があると思っていて、感覚としてはだいたい枕草子の冒頭と一致する。夏は夜。網戸越しの夜風に夏のにおいが混ざっている。遠くの葉っぱのにおい。湿気のある、土のにおい。

 

マジで書くことがない。毎回似たような記事でお恥ずかしい。

最近、余白の時間に考え事をすることさえなくなっている。虚無だ。

そのままにしていると趣味にさえ手をつけなくなり、ただベッドの上で天井を見つめるだけの存在になるので、無理やり本のページを開いたり、冷蔵庫の中の野菜でつくれるレシピを検索したり、どうぶつの森で何万ベルか稼いだりする。どれも長くは続かない。自分から扉を開けていくタイプの趣味に使える集中力がない。仕事で集中力を要すのでその影響もあるにはあると思うが、それだけじゃないと思う。

他に何かすべきことがあるような気がして落ち着かない、手の中にある暇つぶしをすべて消費してしまった先の退屈に耐えられる気がしない、

感染も生活も、このまま自分は大丈夫、と言えるだけの根拠がない。不安が首の後ろにまとわりついて、からだを重くする。

大した貯金はないので、たった数万円収入が削れれば、半年ともたずに破綻する。血栓リスクがわずかに上昇する薬を毎日服用しているから、報道されている一部症状が本当ならば、ただでさえ低い抵抗力がなおさらあてにならない。重症化リスクというやつがすぐ手の届くところにある。

どこまで楽観/悲観すべきかわからない。考えても意味がないということだけはわかるが、考える習慣をなくすとどんどん動物に近づいていく気がする。実際近づいているからこその虚無時間の長さとは思う。

 

自分の観測外のところでも成長をするもの、世話をする対象である"他者"としてお花のひとつでも飾るか育てるのが良いのかもしれないが、不要不急というフワッとした線引きがまた後ろ髪を引く。

 

そして結局推し実況グループの、またはそのメンバーそれぞれの動画を見て過ごすのである。でもこれはすごくいい。自分が操作せずとも物語は進むし、編集してあるからレベリングとかの苦痛もないし、推してる人の話し声は単純に心地がいいし、感情に手応えがある。

センセーショナルなニュースや、苦しい考えごと以外でも感情を動かしておくのは人間でいるためにそこそこ大切なことだと思う。手軽に腹が膨れるからといってジャンクフードばっかり食べてると素朴なお惣菜の味がわからなくなる的な……そういう……イメージ。

 

どこにも行かず誰にも会わない5連休なんて何をどうしたらいいか全くわからない(2連休さえいまだに慣れないのに)。でも5/2〜3はナポリの男たちが私の人生ナンバーワンゲームのMOTHER2をリアタイ配信してくれるので、"外に出ない"ことが目的でなく、そのものを目的に休日を楽しむことができる。いま自分たちにできることを最大限のかたちで、そしてこちらに肩肘張らせないようにやってのけてくれる人たちが推しで幸せだな。

よかったら見てみてください。youtubeチャンネルで5/2 18時から配信です。

 

 

さんざ言われているけど、この機にフランクル「夜と霧」などを読むのもよい体験になると思います。少し身に寄るものがあると思う。こういうのを読むのに早いも遅いもないが。

 

まだ毛布をしまうには肌寒い。