いもいもなにいも

おいものなんでもない日

花の代わりにしめす絵

会社で仕事中、集中していたらいつの間にか陽が傾いていて、西陽が私だけにめちゃくちゃ当たっていた。窓際の席なのに加え、換気のために近くの窓とブラインドが少しずつ開いているので、私の席だけがとりわけ強く照らされてしまったのだ。なんか目がしぱしぱすんなと思った。きりがいいので立ち上がって、いちばん強く光が差し込んできているブランドを閉めた。あたりの明度が急に下がって、何人かがこちらを見た。まだ視界がちかちかするなと思いながら、そのまま空のペットボトルを捨てに立った。時計を見るとまだ17時前。日に日に日が短くなって、冬になる。今日からもう12月だ。

 

帰って、トイレの壁に掛けてあるカレンダーを最後の一枚にめくった。このカレンダー、絵柄が綺麗でよかったな。去年はこれを含めて何百ものカレンダーを売っていた(カレンダー以外も何千種類か売っていた)。あの日、店の予算がわずかにいかなくて、何か買うものはないかしつこくきいて回るえらい人に辟易しながら、じゃあこれでも買おうか…と自分で棚に並べたばかりのそれを手に取ったのだった。もちろん自腹だ。バカらしい。

でも品物としてはとてもよくて、外に出る機会が激減して季節感なんてどこへやら、かわいい雑貨を見にいくことすらできないでいる私には、毎月の鮮やかでカラフルなイラストはなぐさめになった。店員には二度となるものかと思うけど、やはり雑貨の類は人一倍好きであると気付いたのも、気軽に雑貨屋へ行くことができなくなったからだった。

いまさら探してもこのシリーズは在庫なんかないだろうな、という、去年さんざんカレンダーを売りさばいたよれよれの記憶から確信するも、年明けから突然まっさらな壁になるというのもさみしい。一応同じシリーズを探してみるかと検索するも、やはり在庫切れ。そりゃそうだ、早いものは9月、それ以外でも10月には出揃っている。代わりになるものはないかスクロールする毎に、見覚えのあるメーカー名、去年死ぬほど倉庫から出したのとよく似たビジュアルがぞろぞろと出てきて、担当営業さんたちの顔やかつての部下たちの顔が浮かび、指先が冷えてくる。働いている間はギリギリ平気だったのに、思い返すと胃にがっつりくる。

これ以上は夢見に関わる、と検索をやめようとしたとき、童話風のかわいい画像が目に入った。詳細をみると、在庫もあるし、値段も普通、何より作家公式が販売していて安心できる。詳しく見ていくと、リアル店舗をオープンしたという。カレンダー以外にもいろいろ見てみたいし、近くなら行きたいな…と場所を確認すると、前の職場の駅だった。つまり生まれ育った地元でもあるのだが。あの街そのものに恨みはないが、3年ぽっちで嫌な記憶も積もりすぎた。とにかく、あと何年かは近寄りたくない。諦めてそのまま購入ボタンを押した。行きたくないところへ行かなくても欲しいものが買える、いい時代だ。

 

書くことがないとぼやいた翌日にいろいろと起きるものである。というよりは、そういう頭で過ごしただけかもしれない。