いもいもなにいも

おいものなんでもない日

秘密のタイムトラベル

台風一過の朝だった。気圧がぐんぐん上昇していく予報を頭痛ーるアプリで確認して、さもありなんと思った。目覚めた瞬間から脳の異常発火を感じていた。躁状態に近い。こうなると考えなくてよいことを考え、しなくてよいことをする。目的を作らねば。

前日から髪を切りに行くことを決めていたので、淡々と出かける準備をした。眼鏡に前髪がかかってくるようになるともう鬱陶しくて仕方ない。自分で切ることもあるが、美容室で整えてもらうまでに一度に留めておかないと、どんどんぐちゃぐちゃになる。餅は餅屋だ。

 

物心ついた時からずっと通っている美容室は、こじんまりした商店街の、祖父母の家と同じ並びにある。というよりは、あった。祖父母は数年前にこの並びの開発だかなんだかで土地を売り、もう少し街の方でマンションを買って引っ越した。ふたりともいまも元気に存命である。

 

仕事が忙しいときやとにかく最短時間で用事を済ませたい時は、ホットペッパーとかを使って近所のよさそうな又は手頃な美容室でことを済ませてしまうが、そうでない時は技術と会話の気楽さが段違いなので変わらず利用している。もともと常連だった私の一族の女たちは、住むところが変わったり祖父母宅によるついでがなくなるとパタリと足を向けなくなった。

 

予約は受け付けておらず先着順のため、いつも朝一で向かうが、繁盛しているお店なので運が悪いと「13時からになっちゃうんですが……」と言われてしまったりもする。祖父母宅があるうちは一旦そこで待っていたが、なくなってからは店内で待てないくらいの時間だと少し悩む。さらに今はコロナ対策で、原則店内で待機させないようにしているらしい。とはいえ1時間かけてきているので、今日はいいですとも言いづらい。そういうときは、少しだけここより栄えている隣駅のファミレスまで歩いて行って、本を読んで時間を潰すことが多い。

きのうは「45分後になっちゃいますね…」と言われたので、それくらいなら余裕だな、ならどこかで朝ごはんでも食べようと歩き出した。が、昔からのお店は祖父母宅と同じ時期にほとんど潰れてしまっていて居場所がない。コンビニで何か買って公園でぼうっとするのもありだが、台風一過の雲一つない炎天下でそれはちょっときつい。困ったな、と思っていたら、祖父母宅があった位置のコーヒーショップが開いているのが見えた。あることは知っていたが、いつも定休日とか、入り口が混んでいたりして入ったことがなかった。

いい機会だしと思い、ちょっと緊張しながら入った。店内は清潔でオシャレで、静かだった。カウンター席に通されてカフェラテとパウンドケーキを注文する。

いま座っているのはちょうど玄関の位置だな、トイレの位置だけは変わってないけど排水の関係かな、お風呂場の位置にテーブル席があり、ダイニングだった位置には焙煎の器具がたくさんあるな、……と、不思議なきもちになった。手際よくコーヒーを淹れてくれている店主さんは、目の前の小娘が土地の前所有者の孫とは思いもしないだろう。それもおかしかった。

カフェラテはすごく美味しく、もう少し時間があればおかわりをいただきたいくらいだった。あとで調べると、別の昔からのカフェで15年修行された末に開いたお店だそうだ。数分おきにテイクアウトの客が訪れ、早くも遅くもなく店内客が回転する。居心地がよかった。

外観があまりに小綺麗なので、映え重視の一時的なお店だと寂しいなと思っていたので、これなら嬉しいなと思った。

 

はたちの夏の一か月、実家を飛び出して(というか、助けを求めた私を祖母が運び出したのだ)、祖父母を味方につけ、ここにあった家で過ごした。窓から風と共に流れ込む商店街のチープなBGMが、体に馴染まない睡眠薬でぶかぶかになった脳に、自分がまだ現実にいることを教えた。ここから大学のバイトに通った。ここから病院に通って、ここで一人暮らしの計画を練った。そして、無事に逃げ出した。シェルターとなったのがここでなかったら、私はあのまま壊れていたかもしれない。あのころほとんどの情報がからだを刺すように感じていた私にとって、あの街の、のどかでゆっくりした風や、遠くで鳴っているだけの音が、ちょうどよかった。窓から差し込む光が自分を責めているように感じなくなっていった。

 

その場所が大切にされていてよかったと思った。長く続くお店になると嬉しい。

また待ち時間ができたら、今度は違うメニューを頼もう。

カフェラテを飲み終えるころには、頭の中のざわめきがすこし落ち着いていた。